わたし好みの新刊―     201111

 

『きのこ ふわり胞子の舞』  埴沙萠 写真・文  ポプラ社

 ページをくるごとに幻想的な世界が目に飛び込んでくる。キノコから舞い出る
胞子がまぶしい。キノコは今までにもたくさん見てきたのに,このように胞子が
飛びかう風景にお目にかかったことはない。「見れども見えず」だったのか。
胞子は,ちょっといたずらをすれば見えるのかもしれない。もちろん,この本に
ある数々の写真は著者の巧みな撮影技術のたまものである。著者は古くからの
植物写真家でキノコの習性は知り尽くしての撮影に違いない。

 表紙は真っ赤なタマゴタケから胞子が舞い上がる。ページをめくるとシイタケ
から虹色をまぶした糸のカーテンが垂れ下がっている。絶妙な胞子と光の芸術だ。

「あさ はやく もりを あるいていると/けむりが でている きのこに で
あいました。

 けむりに みえたのは こなのような ちいさな つぶでした。… … …」

 地面から怪しげな煙がわきたっているようなキノコのカーテンがいくページも続く。

「ちいさな ちいさな つぶは あさひに かがやいて/

 ふわり ふわりと もりの なかに きえていきました。」

「きのこから でていた ちいさな つぶは、胞子でした。

 胞子は、きのこの〈たね〉のようなものです。」

と綴られていく。胞子がゆっくりと拡散されていく様子が手に取るように写し出さ
れている。

 シイタケ栽培を追いながら,「胞子」→「菌」→「菌糸」→「きのこ」という
きのこ成長の過程を紹介している。シイタケ(きのこ)は胞子をまきちらすための
「かさ」なのだ。「かさ」の裏にびっしり見えているひだひだから胞子が生み出
されていく。

 「きのこは、菌糸が胞子(たね)をまくための「たねまき器」のような
ものです。」
と著者はまとめている。最後に家庭で胞子を見る方法を紹介している。 
                       20119月刊  1,200

 

『森はみんなの保育園』 (たくさんのふしぎ 11月号)
                
深井聰男文  福音館書店  

 「子どもたちを森や自然の中で過ごさせたい」という願いを持つ保育所(親)は日本
にもある。しかし,この本にでてくる「森の保育園」は徹底している。「子どもたちと森以
外には、何もありません」とある。一人の森好きのお母さんの願いが〈森だけの保育園〉
として誕生したのだ。今から60年ほど前のデンマークでの話である。 ページをめくる
とこんなコラムがある。

 「デンマークには、他人の森であっても、自由に出入りしていいというきまりが昔から
あります。自然の恵みは、みんなのものという考え方です。人々は、何百年もまえから、
森に入っては、鳥や花を探したり、パーティーを開いたり、野イチゴをとったり、キノコ
狩りを楽しんだりしていました。デンマーク人ならだれでも、森がどんなにいいところか、
よく知っています。」

 これは,人類には基本的な考え方ではないかと思う。所有権がある手前,自由に野
原や森に入り込めない日本の現実とは根本的に違った考えである。自然を享受する
権利は国民みんなにあるという原則的な考えを根底で認め合っている。そういう国もあ
るということを知ることだけでも意義は良い。

 さて,本の内容は,「森の保育園」の日常生活が次々と語られていく。当然のことな
がら,子どもたちの嬉々とした活動が描かれていく。森の中でのさまざまな遊びが紹介
されている。また,森には他の生き物も生活している。森の生きものたちの生死を分け
た場面とも出合う。

 園舎もない森と子どもたちだけの保育園というのは,さすがに理想郷だ。近代のさま
ざまな親たちのニーズとはかけはなれていき,ついに2010年に幕を閉じた。しかし,
少しでも長い時間を森の中で過ごすことを大切にした保育は,今もえんえんと続けら
れているという。デンマークだけでなく,近隣の諸国にもその考えが広がっている。日
本にも影響するといいのだが。          2011年11月刊   700円(西村寿雄)

                          

               「11月 新刊案内」