「科学読物」の類型化 5
V フィクション
マンガ・紙芝居
西村寿雄
1. 「マンガ・紙芝居」の位置
今回、「マンガ・紙芝居」を科学読み物の一つとして論じようと試みた。類型としては、上記「フィクション」の
一形態として取り上げた。
そもそも、「マンガ・紙芝居」がどうして科学読み物に入るのかの議論から始めなければならない。従来から
ある科学読み物関連の下記主な論文、著書には
「マンガ・紙芝居」は含まれていない。
『科学の本の読み方 すすめ方』等 板倉聖宣著書
『子どもにすすめたいノンフィクション1987〜1996』
日本子どもの本研究会 一声社
『科学の本っておもしろい』1〜4 科学読物研究会 連合出版
『科学読物データーバンク98』 科学読物研究会編 連合出版
『読んでみない?科学の本』 子どもと科学をつなぐ会 連合出版
もちろん、これらの著作がとりあげている分野は、「科学読み物」或いは「知識の本」という分野なので、最初
から「マンガ・紙芝居」は編集の範疇に入れていないこともあると思われる。このように一般的には「マンガ・紙
芝居」は、科学読み物の範疇に入らない分野とされている。
しかし、「よみもの」や「絵本」の立場から、或いは子どもの文化という立場から読み物(
科学読み物)を論じて
いる下記の本では、子どもの本の一つの形態と
して「マンガ・紙芝居」を取り上げている。
『子どものあそびと絵本』 1992 岡田純也著 中央出版
『絵本への道』 1999 加古里子著 福音館書店
岡田純也氏は児童文学の専門家で、『子どものあそびと絵本』では、児童文化の一つして「マンガ・紙芝居」
を取り上げている。この本では「四季と絵本」という項で科学読み物も取り上げている。
加古里子氏は技術者でありながらセツルメント活動から子どもの文化に関心を示した人で、子どもの遊び、
紙芝居、幻灯などの経験が深い。その後絵本を書くが科学読み物の著作も多い。
『 絵本への道 』は加古里子氏の総合的な絵本論で、紙芝居、科学絵本につい細かくまとめられている。マ
ンガについては特にここでは論じていないが、一
部「二コマ・三コマ・四コマ」や、後半の「質問に答えて」でふれている。
以上のように児童文学や児童文化、絵本関係の研究者からいえば、「マンガ・紙芝居」は当然のことながら
子どもの大切なメディアとして受け入れられている。
2.学校現場・図書館でのマンガ体験
先に断っておくが、私は特別に多くマンガを読んだ経験もないし、マンガの必要性をことさら論じるつもりは
ない。むしろ、マンガに特別に興味を持たない者の一人に入る。
それは、むしろ我々(1930年代生まれ)の年代では子どもの頃はマンガは正当な文化ではなくて、アングラで
隠れて読むものといった印象が強かったことも影響していると思う。わたしが子どもの頃でマンガについて唯
一つ覚えているのは『のらくろ』(田川水泡作) である。よく野原で遊び疲れると近所の遊び友達と家の縁側で
回し読みをした。「のらくろ」の奇想天外な展開にみんなでわくわくして読んだことは鮮明に残っている。
学校に勤めるようになっても、当初はマンガは「正当な本」とは認知されていなかった。マンガの文化として
の意味は私なりにある程度理解はしていたが、直
接学校教育の場にはなじまないものと思っていた。
しかし、当時わたしがたまたま地質学に興味を持っていたせいもあり下記のマンガ本
井尻正二作・伊東章夫絵『先祖をたずねて億万年』1970(資料 1)
井尻正二作・伊東章夫絵『ドクターカックは大博士』1971
いずれも新日本出版社
などを手にしてびっくりした。体験できない過去の生物の姿・形が調査研究にもとづいたストーリーとして想像
たくましく描かれていた。また、ヒトの体の形態や機能についても見えない世界が生き生きと描かれていた。
この本には一気に引き込まれてしまった。やはり、おもしろい、よくわかる、マンガもこんないい本があるのだと
初めて知った。
その後、手塚治虫の『鉄腕アトム』(1951)や『火の鳥』(1954)シリーズなどにも注目するようになり、次第にマンガに
ついて職員間でも話題が出るようになった。矢口高雄の『釣り吉三平』(1973)、松本零士の『銀河鉄道999』(1977)、
白土三平の『カムイ伝』(1964)などは図書室などでも置かれるようになった。
その後、学校の授業でも意図的に利用できる内容のマンガまで出てきた。
中沢啓治作 『はだしのゲン』 1〜10巻 1966 汐文社
である。当時から盛んになりだした平和教育の一環として子どもたちにも読んでもらっていた。原爆被害の恐
ろしさについてリアルに描かれていて、反戦へのストーリーもしっかりした内容になっていた。中沢啓治の作品
には『黒い雨にうたれて』(一光社)という戦争モノもあった。
その後漫画界もさまざまなジャンルの本が出て、時には低俗出版物としてマンガの悪書追放運動が起きたり
したこともあるが、少し堅いマンガも出始めた。科学モノや歴史モノなど、学習漫画、勉強漫画と呼ばれるもの
である。これらの本にかなり目を通したわけではないが、科学の本としてとりわけ下記の本には興味をいだいた。
手塚治虫・大塚明郎監修 『アトム博士の科学探検』1988(資料2)
石ノ森章太郎・大塚明郎監修 『アトム博士の電磁気学入門』1990
いずれも東陽出版
確かにこれらの本は、挿し絵が中心で吹き込みの文章もあり、だらだら読む文章よりは読みやすい。話も筋道
立てて書かれている。しかし、これで内容が本当に分かるかというとそうでもなく、仮説実験授業のように自分で
考えたり自分で発見するという筋立てはない。要は、理解するのに都合がいいという内容である。
とはいえ、マンガといえどもこういう本もあるということは注目に値した。
このような流れの中で、マンガには多様な内容の本があることだし、それなりに選択して読んでいれば子どもた
ちの読書意欲を強める一手段としてもいいことだとして、学校などでも次第に認知されるようになったと思われる。
かといって学校の図書館にマンガがどんどん置かれていたかというとそうではなく、前述のようなごく限られた本に
しぼられている現状であった。
では、公立の図書館ではどうだろうか。今ではかなりの図書館でもマンガ・コミックは置かれるようになったが、
〈普通の図書館〉をめざして滋賀県・高月町の図書館にいる明定義人氏は、以前は「税金でマンガなど買うのか」
と批判されたとしながらも
資料費の少ないなかで、マンガを入れる入れないというのは、どちらが正しいというわけではなく、どちらであっても、未来に向けての現状の一つの選択であるといえよう。マンガが図書館資料の中で大きな位置を占めるのは時間の問題なのだ。未来の利用者像と未来の図書館とを想像してみるとそういうことになると思う。
(「選書とリクエストについて」1989) |
|
と予言していた。それが今は現実の姿になりつつある。
3.形態からみた「科学絵本」と「マンガ・紙芝居」
一般に科学読み物と呼ばれている本の中で、絵を中心にして書かれた本に「科学絵本」という分野の本がある。
これは読んで字の通り「絵」を主体ににして話が展開され、その「絵」に少しの文章を添えられた本である。もちろん、
これらの中にはすぐれた「科学読み物」(自然の本・科学の本)もたくさんある。
さて、それらの「絵本」の見方を少し変えると、「紙芝居」になりうるものもたくさんある。絵本の中の絵と文章を分
離したものが「紙芝居」と言えないこともない。近年はよく小学校などに自然の本の紙芝居版も出回っている。紙芝
居なら教室でたくさんの子どもたちに見せることができる。しかし、文章は教師が朗読することになる。
もちろん普通の物語と紙芝居は絵本とは根本的に異なる点はたくさんある。加古里子氏は紙芝居と絵本について
|
「紙芝居は肉声で、というか人格を通して、ストーリーを相手に伝えます。そ
こにはアドリブの良さがあります。」
「ところが、絵本には観客との対応やアドリブがないし、せいぜい読者から手
紙が来て、にっこりしたりがっかりしたりするぐらいです。」 (『絵本への道』) |
|
などと指摘しているように、紙芝居にはあくまでも読む人の個性がからんでくる。
また、「読み物」は文章があってこそ「読み物」で、文章がない紙芝居は、もうこれは「読み物」の範疇からはずれてしま
っているのも事実である。紙芝居は形態から言うと読み物ではない。
一方「マンガ」も「絵本」とはかなり異なった分野にあることも事実である。
「マンガ」とは何か、その形態的な特長を見ると石子順氏は
|
「漫画は、コマ割りされて、そのコマの中に主人公や仇役が描き込まれ、セリ
フが入って、コマの連続によって何ページにもの画面が構成されている。… セ
リフは少なくて、簡潔明瞭、断定的、断面的で、それは人物たちの口のあたりか
ら描かれている、風船のような吹き出しの中に書き込まれてなりたっていく。こ
のようなキャラクターの図像があって、会話の吹き出しがあって、アクションに
ともなって起こる擬音が挿入されていて、それらを細かい、あるいは太い描線が
描いていく。
漫画は視覚文化であり、無数の線でなる絵画であり、目で見る小説であり、印
刷された映画、あるいは演劇である。」
(「漫画力との出会い」石子順 『心を育てるマンガ』一声社 所収) |
|
と述べている。これらから見ると「マンガ」はあくまで動的なアクションが主流であるが、「絵本」は、絵の美しさを全面
に出したファンタジーの世界である。
ところが、最近の科学絵本の中には、主体は「絵本」でありながら「マンガ」に接近した描き方をしている本もある。
『水のたび』(ジョアンナ・コール文 ブルース・ディーギン絵 藤田千枝訳 岩波書店) (資料 3)
『恐竜さがし』(ジョアンナ・コール文 ブルース・ディーギン絵 藤田千枝訳 岩波書店 )
『恐竜のけんきゅう』(アリキ文・絵 神鳥統夫訳 小畠郁生監修 佑学社)
『木の実とともだち』(松岡達英構成・下田智美絵文 偕成社) (資料 4)
などがある。これらには吹き出しがふんだんに使われていて挿し絵も大胆闊達である。また、『木の実とともだち』で
はコマ取りも使われている。こうなってくると、これらの本は「絵本」に重きをおいた「マンガ」ともとれるし、「絵本」と
「マンガ」の接点にある本となっている。
4.内容からみた「科学絵本」と「マンガ・紙芝居」
ここでは、科学絵本やマンガ、紙芝居について内容面から検討する。
科学絵本での「科学」について加古里子氏は
|
「科学の本というからには、その題材が科学的な事柄であるだけではなく、その把握の仕方が科学的であることがより大事であると考えたのにです。もちろんそれは、作者や編者の科学観や哲学、人間に対する態度とかかわってまいります。
私の考えているところは、静止で止まっているという形ではない姿、今までも発
展し続けてきたし、これからも人々の考えや賢さと共に更に大きく深く未来をひ
らいてゆく態度の中に科学があるということを示したいと思いました。」 (『絵本への道』) |
|
と言うように、科学絵本の「科学」をたんなる自然描写とはとらえていない。むしろ、「作者や編者の科学観や哲学、
人間に対する態度」に重きをおいていることがわかる。
また、「科学読み物」について板倉聖宣氏は
|
「自然が科学になるためには人間がいります。科学者という人間がいて初めて
科学が成立します。ですから、科学読み物というのは人間の物語りです。」
「科学読み物というのはどういうものかというと、とりあえずは科学者のすば
らしさ、科学する人間、科学を作った人間のすばら しさがわかるように書いた
本です。一番基本的に大事なのは、読者を科学者になった気持ちにさせ、読者が
〈わたしはすばらしい〉と思えるように することです。」
(1999年11月横浜市講演 『科学読物研究』0号所収)
|
|
と述べていることと共通する内容である。
一方、手塚治虫のマンガについて石子順氏は
|
「手塚漫画は教養漫画なのである。さまざまな生き方や、科学や、 知識をただ
見せてくれるのではなく、どこへ行く?と問いかけてくるからである。漫画は、
こうして読み捨てられるものから、くり返し読みつがれていくものに高められて
いった。」
(『漫画詩人・手塚治虫』 石子順 新日本図書) |
|
と、マンガも科学や生き方への問いかけだと書いている。もしそうだとすれば、形態は別として、内容的には手塚治
虫のマンガもその多くは「科学読み物」と同じレベルにある。
このように考えていくと、「マンガだから〈科学読み物〉に入らない」と決めつけることはできない。内容を読んで、そ
こになんらかの形で見方考え方が挿入されていれば「科学読み物」と位置づけることができる。
先に紹介した『先祖をたずねて億万年』のように自然の研究成果を描いたものも、一見科学の成果を描いただけと
も見えるが、科学者の描いた数億年前の空想の世界を読者に問いかけているという点を思えばこれらのマンガも「
科学読み物」の範疇に入ってくると思われる。
「マンガ」の本 リスト
2001,2,15
1. 「科学読み物」に入るマンガ一覧
|
書 名 |
著者名 |
出版社 |
発行 |
1 |
先祖をたずねて億万年 |
井尻正二・伊東章夫 |
新日本出版社 |
1970 |
2 |
ドクターカックは大博士 |
井尻正二・伊東章夫 |
新日本出版社 |
1971 |
3 |
いばるな恐竜ぼくの孫 |
井尻正二・伊東章夫 |
新日本出版社 |
1972 |
4
|
ぼくには毛もあるヘソもある |
井尻正二・伊東章夫
|
新日本出版社
|
1973
|
5
|
学研まんがひみつシリーズ「恐竜化石のひみつ」他 |
小畠郁生監修
篠田ひでお漫画 |
学習研究社
|
1979
|
6
|
まんが「少年少女日本の歴史」 20巻 |
児玉幸多監修
あおむら純絵 |
小学館
|
1981
|
7 |
恐竜大紀行 |
岸 大武郎 |
集英社 |
1988 |
8 |
アトム博士の科学探検 |
手塚治虫・大塚明郎 |
東陽出版 |
1988 |
9 |
アトム博士の化学探検 |
手塚治虫監 |
東陽出版 |
1988 |
10 |
アトム博士の相対性理論 |
手塚治虫監 |
東陽出版 |
1989 |
11
|
アトム博士の続・相対性理論 |
石ノ森章太郎監
|
東陽出版
|
1989
|
12
|
アトム博士の電磁気学入門 |
石ノ森章太郎監
大塚明郎 |
東陽出版
|
1990
|
13
|
アトム博士のユートピア探検 (資本論) |
石ノ森章太郎監
|
東陽出版
|
1990
|
14
|
マンガ日本経済入門
(合本) |
石ノ森章太郎
|
日本経済新聞社 |
1990
|
15
|
アトム博士の宇宙探検
|
石ノ森章太郎監
大塚明郎 |
東陽出版
|
1991
|
16 |
マンガ日本の歴史(55巻) |
石ノ森章太郎 |
中央公論社 |
1991 |
17
|
まんが日本の歴史(8巻)
|
竹内誠也監修
あおむら純漫画 |
小学館
|
1991
|
18
|
マンガ秋山仁の
数学トレーニング |
秋山仁作、
高橋達夫絵 |
東京図書KK
|
1993
|
19 |
まんが人間の歴史(10巻) |
吉川豊作・画 |
理論社 |
1993 |
20 |
なぜなぜおもしろ実験室 |
板倉聖宣監修 |
集英社 |
1994 |
21
|
楽しくわかる歴史まんが
日本の歴史(6巻) |
浜田ひであき著
|
旺文社
|
1994
|
22
|
まんが世界不思議物語
(10巻) |
たかしよいち原作
吉川 豊漫画 |
理論社
|
1994
|
23
|
まんが化石動物記(10巻)
|
たかしよいち原作
吉川 豊漫画 |
理論社
|
1994
|
24
|
NHKまんが驚異の小宇宙
人体(3巻) |
江口吾朗監修
ひきの真二著 |
小学館
|
1995
|
25
|
NHKまんが地球大紀行
(6巻) |
浜田隆士監修
ひきの真二著 |
小学館
|
1996
|
26
|
アトム博士の原子物理学探検 |
飯野睦毅
|
東陽出版
|
1996
|
27 |
アトム博士の数学探検 |
福嶋葉子 |
東陽出版 |
1996 |
28
|
アトム博士の量子力学探検 |
吉田正
|
東陽出版
|
1997
|
29
|
マンガで学ぶ世界四大文明 |
NHK取材班
|
NHK出版
|
2000
|
2.比較的自然や社会を理解するのに役立つと思われるマンガ本
|
書 名 |
著者名 |
出版社・本 |
発行 |
1 |
鉄腕アトム |
手塚治虫 |
講談社 |
1951 |
2 |
火の鳥 |
手塚治虫 |
角川書店 |
1954 |
3
|
シートン動物記
|
内山賢次訳
白土三平画 |
東邦図書出版
|
1961
|
4 |
虫類図譜 |
辻まこと |
芳賀書店 |
1964 |
5 |
カムイ伝 |
白土三平 |
「ガロ」 |
1964 |
6 |
はだしのゲン |
中沢啓治 |
汐文社 |
1966 |
7 |
水滸伝 |
横山光輝 |
「希望ライフ」 |
1967 |
8 |
ドラエモン |
藤子不二雄 |
小学館 |
1970 |
9 |
黒い雨にうたれて |
中沢啓治 |
一光社 |
1971 |
10 |
三国志 |
横山光輝 |
潮出版社 |
1972 |
11 |
ブラックジャック |
手塚治虫 |
秋田書店 |
1973 |
12 |
釣り吉三平 |
矢口高雄 |
講談社 |
1973 |
13 |
地球へ |
竹宮恵子 |
中央公論社 |
1977 |
14 |
銀河鉄道999 |
松本零士 |
少年「キング」 |
1977 |
15 |
ウッドノート |
小山田いく |
秋田書店 |
1985 |
16 |
チェルノブイリの少年たち |
三枝義浩 |
講談社 |
1991 |
17 |
砂の剣 |
比嘉 慂 |
小学館 |
1992 |
18
|
語り継がれる戦争の記憶
|
三枝義浩
横山秀夫 |
講談社
|
1995
|
19
|
こんなものを食べてきた
|
本多勝一、堀田あきお・佳代 |
朝日新聞社
|
1996
|
20 |
ぼくの満州 |
森田拳次 |
あゆみ出版 |
1997 |
(2001,1,27)