論文

    「たのしさ」「面白さ」を主張する
        終戦前後の〈算数・数学〉読み物      (抜粋)

 以前から、私は子どもが読む科学読み物に関心を持っていて、戦後の「科学読み物の類
型化」に取り組んできた(「科学読物研究」2,3,5,7,8号)。その中で「算数・数学」の本も取り
上げていたので、その原稿を出口陽正さんに見てもらっていたところ、折り返し次の
2冊が送られてきた。

 送られてきたのは
 1.『算術の話』(小学生全集) 国元東九郎著 1930刊 興文社
 2.『たのしい算数教室』藤原安治郎著 1948年刊 妙義出版社
の2冊であった。

 今まで、戦後の科学読物は1960年代からが主流なので、私自身はそれ以前の児童向け出
版物にはあまり目を向けていなかった。戦後の窮乏期に子ども向けの本などそんなに出てい
ることもないし、いずれ機会をみつけて戦中、戦前の科学の本にも目を向ければよいと思って
いた。さらに、「算数の本などというのは分かりやすく書いた本はいくらでもあるだろうが、楽し
く書いた本などほとんどないのではないか」と思っていた。
 事実、戦後の科学読み物でも楽しく読める算数・数学の本といえば板倉聖宣さんたちのの
編集された『数と図形の発明発見物語』と『少年少女科学名著全集 算数の先生』(国土社)ぐらい
である。
 ところが、上記の『算術の話』『たのしい算数教室』を見て驚いた。2冊とも、たんなる算数の
学習書・解説書ではなくていずれも読みやすい読み物なのである。(これらの内容は前記の
『科学名著全集』や『発明発見物語』に再訳されて入っている。)
 なかでも、『たのしい算数教室』は、表題まで「たのしい……」となっていて〈たのしい〉が強
調されている。まるで、今の21世紀のご時世にに通じるような表題である。
 これらの本に目をやっていると、この時代にも〈楽しく学ぶ〉という風潮が特に強くあったこと
が感じられる。そこで、この時代の本をもう少しし追跡してみたくなった。といっても、こういう
子どもの本の古本などはおいそれと見つからない。いずれ、どこかの図書館ででもみたいと
考えていた。

 さっそく藤原安治郎著『僕らの楽しい数の五十三次』(1941刊)を手に入れた。
 この本も、まったく楽しい読み物である。三人の少年が東海道五十三次の旅に出ながら、そ
の土地にちなんだ算数の話を楽しんでいくという筋立てである。国中の戦時体制がいよいよ強
まる中、このような楽しい雰囲気の算数・数学の本が出ていたとことにまず驚いた。
 この『数の五十三次』が出版された戦中・戦後のこの時代は、ちょうど私が子ども時代を過ご
した時代そのものなのに、残念ながらこのような算数の本を目に触れる機会はなかった。当時
は勤労生産の時代で勉強などは二の次で、まして算数・数学などは学校で習うものとばかり
思っていたからだろうか。

 この藤原安治郎という人が、この時代にたくさんの数学の本を書いているということが分かっ
たので、国際子ども図書館や大阪府立国際児童文学館の資料検索を試みた。すると、なんと
この頃の算術・算数の本として、藤原安治郎の本が数十冊、国元東九郎の本が数冊、その他、
竹貫直人、吉岡修一郎、清水甚吾、佐藤武等、多くの著者の本が数百点も出てきたのに驚い
た。とりあえず、大阪にある国際児童文学館で藤原安治郎と国元東九郎の本を数冊見せても
らうことにした。ここで見た本も、いずれもお話調で楽しく肩が凝らずに読める。このようなタッチ
で書いた本は、現在出版されている本ではほとんど見あたらないのではないか。

 そこで今回は、下記5冊の本の概要を紹介しながら、当時の数学教育の風潮をさぐってみた。  

参照した本

1.『算術の話』(小学生全集73) 国元東九郎著 文藝春秋社 1928 

この本には同著者、同名の興文社 1930刊もある。
また、1964年には少年少女科学名著全集『算数の先生』(国土社刊)として再訳さ
れて全文出版されている。

2.『少年数学史』(上)(下) 藤原安治郎著 教育研究会 1931

3.『面白い算術遊戯』 藤原安治郎著 誠文堂新光社 1940

4.『僕らの楽しい数の五十三次』藤原安治郎著 三省堂 1941

5.『たのしい算数教室』 藤原安治郎著 妙義出版社 1948

 

◆『算術の話』 国元東九郎著

 最初に書いたように、この本の特長は数学の解説書ではあるが、ちゃんとしたストーリーで貫
かれているところにある。新任の教師がある学校に赴任して生徒たちとさまざまな交流をしな
がら、数学の楽しさを語っていくという筋立てになっている。この本では、速算の秘訣や、記法、
数字の起源、端数の処理の仕方などから、ターレスの話、図形の基本的な見方まで、さまざま
な話が盛り込まれている。

 この本は、また1964年、板倉聖宣さんたちが編集された少年少女科学名著全集『算数の先
生』に収録されている。ほぼ全文が読みやすく体裁を整えて出版されている。この本の編者で
ある板倉聖宣さんや奥田教久さんも子どもの頃にこの本を読んでずいぶんと楽しかったらしい。
奥田教久氏が『算数の先生』の解説に書いた文を抜粋してみる。 

◆『少年数学史』(上)(下) 藤原安治郎著 
 この藤原安治郎は、この本の他にもたくさんの子ども向けの楽しそうな算数の本を書いてい
る。この『少年数学史』も非常に読みやすい。文章も分かりよいし、小数の発明にずいぶんと
時間がかかったことがよくのみこめる。 

◆『面白い算術遊戯』藤原安治郎著
 この本は、今はやりの算数クイズのハシリだろうか。算数のクイズ的な問題がたくさん紹介
されている。藤原安治郎はこの本の趣旨について「私がこの本を書いたわけ」と題して次の
ようなことを書いている。

「好きで上手であるか」「算術の面白い遊び」などの言葉が目にはいる。「好き」とか「面白い」
という言葉から察して楽しい算数の大切さを強調しているように思われる。 

◆『僕らの楽しい数の五十三次』 藤原安治郎著
 この本は、本の題名にまで「僕らの楽しい…」と「楽しい」が強調されているユニークな本で
ある。「はじめに」にあるように、東海道を旅しながらさまざまな算数クイズを解いていくという
奇抜なアイディアである。次々とと問題が出されて、それぞれの考えが紹介されている。こう
してわいわい算数談義をしながら三人の旅は続いていくという想定である。
これなら長旅も退屈しないですむに違いない。                     

◆『たのしい算数教室』 藤原安治郎著
 この本は1948年刊行だから戦後の教科書もまだ十分にない時代の本である。この時は、私
は小学校5年生だったが、学校では新聞のような本を切り裂いて本作りをしていたことを思い
出す。こんな窮乏期によくもこんな本が出ていたものだと驚く。後ろの広告を見ると〈少年少女
科学シリーズ〉としてかなりの本が作られていたようだ。
いずれも、身近な算数の問題を載せている。後半には〈数と考え方〉〈数と統計〉〈数と歴史〉
などと、数学の話になっている。 この本の最後の話は、世界初めての女性数学者ソーニァ
の話でしめくくっている。
 戦後日本の黎明期というか、非常な期待と意気込みが感じられてくる。しかし、だからこそ
「たのしさ」を元にして文化を広めていこうという試みは、今も学ぶことが多いと思う。

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