科学読み物における分類と位置づけ
( 理科教育と科学読物 1)
西 村 寿 雄
1.理科教育と科学読み物
日本の理科教育史の中で、科学読物はあまり重要視されてこなかった。しかし、子どもの科学概
念形成において科学読物は大変重要な位置をしめる。理科離れ、科学離れといわれる現代におい
てこそ、科学読物の重要性を見直したい。
明治の初期、福沢諭吉ら洋学者による科学教育の幕はまさしく科学読物によって切り開かれた。
そして、その後も引き続きすぐれた科学読物が出版され日本の近代教育が推進されていった。(*1)
明治19年に発足した「理科」においても、文部省は「理科読本」などを検定教科書として出版し科
学読物を重視していた。しかしその後、日本の〈理科〉教育は〈実物による教育〉の性格が強くなり、
科学読物はもっぱら国定「小学読本」にまかせられるようになった(*2)。以来、すぐれた科学読物
は主として民間の出版物でまかなわれることになった。
戦前の理科教育界で科学読物の重要性を説いたのは堀七蔵や神戸伊三郎(大正10年代)であっ
たが、あくまで、「実験や観察を側面から推進するための参考書」「授業の中で直接的に継続観察で
きない学習内容を科学読物で補充しようというものである」(*3)というように、あくまでも授業での補
完物として考えられていた。授業の中に本格的に科学読物を取り入れようと試みたものに、信濃教育
会や南満州教育会の「理科学習帳」があったが、これも地域教材の域を出なかった。(*4)
敗戦後すぐにいわゆる生活単元による問題解決学習が展開された。そのなかでは、『中学生の科学』
『小学生の科学』という読み物中心の「教科書」が文部省より発行された。科学史家の板倉聖宣は「学
校教育の中で科学読物がもっとも重視された時代は敗戦後まもない頃の生活単元による問題解決学
習の時代」(*5)と位置づけている。
しかし、この生活単元学習の時代もすぐに終わり、その後は系統性を重視した理科教育へと流れは変
えられていった。近年は実験観察重視、体験重視の理科になっているが、ここでも科学読物は重視され
ているとは言えない。
日本の理科教育界で本格的に科学読物を授業の一要素として取り入れたのは1963年に板倉聖宣に
よって提唱された仮説実験授業である。仮説実験授業は〈授業書〉という授業の書を作りその中に科学
読物が挿入されている。それは「授業で確認された科学上の基礎的概念・法則を中心とした話題を提供
し子どもたちの視野を広げ興味をかきたてることをねらうもの」(*6)であり、時には「実験結果」を示す話
もある。
板倉聖宣は科学読物の重要性について「すぐれた科学者の仕事を紹介することにより、子どもたち自
身の考え方と科学者たちとの考え方とが基本的に同じであることを示すのにも役立つ」「科学の思想性
というものはすべて直接体験できるとは限らない」と、科学読物の重要性を指摘している(*7)。
仮説実験授業は今も多くの子どもたちに支持されて楽しい科学教育の実績を積み重ねている。また、
社会や数学領域の授業書も充実し、益々研究の巾を広げている。
注記 *1 瀧川光治 「大正期の科学読み物の歴史と時代区分」(日本科学史学会発表資料1999)
*2 板倉聖宣 『理科教育史資料6・科学読み物』(東京法令出版株式会社刊 1987,2)
*3 長谷川純三 「理科教育史にみる科学読物の位置」(「理科教育」1981,10号)
*4 長谷川純三 「 同上 」
*5 板倉聖宣 「科学読物と科学教育」(「理科教室」1978,8号)
*6 板倉聖宣 『仮説実験授業入門』(板倉聖宣・上廻昭編著、明治図書 1968,10)
*7 板倉聖宣 「科学読物と科学教育」(「理科教室」1978,8号)
2.科学読み物とは
一般に、子どもや青少年向けに書かれた自然や科学に関する読み物、絵本、図鑑類などを「科学読
み物」という言葉で語られている。しかし、科学読み物について研究、論議していく場合は、共通した科
学読み物の概念を持つ必要がある。その意味において、現在までに語られている科学読み物論を整
理し、新たに類型化を試みた。
まず、戦後の科学読み物論から取り上げていく。初めに、初期の科学読物研究会の中川宏は
「科学読物は〈科学の本〉の周辺部分、裾野の部分をより広く含んでいる」
「内容によっては科学者の伝記、SF、フィクション、動物文学も含む」(*1)
として、〈科学の本〉以外も含める概念を示している。
このあたりを加古里子は、「科学読み物」の用語解説に
「図書分類であつかう科学の本にとどまらず、その周辺部分、裾野の部分を広く含ん でいる本。科学
者の伝記やSFのみならず、また文学の形をとっていても、自然に
対する深い認識や問題の提起が含まれていれば科学読物に入れる。昭和初期から多
用されている児童科学書にかえて、1960年代から使用されるようになった言葉。サ
イエンス・リーダーの訳と言われる。」(*2)
とまとめている。さらに、中川宏は
「自然への鋭い洞察あるいは自然への正しい描写、あるいは自然や科学への幅広い
関心を育てるものであれば、すべて科学読物となりうる」(*3)
とも述べている。
一方、仮説実験授業を提唱した板倉聖宣と仮説実験授業を実践的に取り組んできた庄司和晃は、科
読物について次のような明確な規定をしている。
まず、庄司和晃は
「科学読み物は、その内容のありかたや執筆姿勢からいって、二つに大別することが できる。一つは
〈自然〉を教えようとする面に主眼のおかれた読み物であり、もう一 つは〈科学〉を教えようとする面に力
の注がれた読み物である。」
として、後者を「考えることのすばらしさや科学の方法のおもしろさを知らせようとするもの」とし、「前者を
ふまえつつも、科学とは何か、科学者とは何かをまっとうに伝えようとするもの」を科学読物としている。(*4)
また、板倉聖宣は科学読物の〈科学〉という言葉についても厳格な規定をしている。
「〈科学読物〉の科学を、〈近代科学〉と限定せずに、〈それぞれの時代に正統的と 見なされていた
自然についての学問―自然学〉にまで含めることにしてしまえば、 上の二冊(『天地或問珍』『訓蒙天
地弁』)は立派に日本最初の〈科学読物〉とい
うことになるだろう。しかし、わたしはそういう考えをとらない。」(*5)
として、きっぱりと〈自然学〉に類する本は科学読物とは認めていない。そして、
「仮説をもとにして実験観察をつみあげて法則理論の体系をつくりあげていくよう
な学問、それだけを科学と定義すべきだ」
「科学読物の役割は、何もその時代時代に正当とされていた自然についての知識を
教えることではなく、そういう常識・権威をものりこえて、仮説をたて実験をす
すめようという生き方を育てあげようとするものでなければならないと思うから
だ。」(同 *5)
とも言い切る。板倉聖宣の科学教育観にもとづいた「科学読物」も多数出版されている。学校教育の場で
は仮説実験授業で彼の言う〈科学〉の授業の有効性は実証されている。
また、最近の講演で板倉聖宣は別の表現で科学読物を定義している。
「科学者という人間がいて初めて科学が成立します。ですから、科学読物というの
は人間の物語なのです。…」
「科学読物というのは、とりあえずは科学者のすばらしさ、科学する人間、科学を
作った人間のすばらしさがわかるように書いた本です。」(*6)
として、人類が〈地球が丸い〉と認めてきた歴史、常識と真理は必ずしも同じないことを知る実験、社会の
問題も実験で決まるという見方、そして、〈科学〉そのものを知らせる実験、それらを科学読物としている。
板倉聖宣の言う科学読物を要約すると、〈科学〉(近代科学・近代科学観)そのものを教える読み物と、科
学者の研究過程、研究行為などを含めた研究のドラマとまとめられる。
板倉聖宣による「科学読物」定義の特徴は、科学読み物から〈自然の本〉を除外しているところにある。
これは、あえて誤解の多い〈知識の本〉と〈科学の本〉の混乱を避けるための意味もあるとも受け取れる。
また、これらの論議とは別に、自然を通じて得られる自然体験やフィクションの世界から自然感覚を収得
することも、広い意味での「科学読み物」といわれている面がある。特に入門期の科学絵本に類するものや、
自然環境に関する読み物にこの主張が強い。
化学物質による自然破壊に警鐘を発し続けたレイチェル・カーソンの『THE SENCE OF WONDER』を訳し
た上遠恵子は、その訳書の中で、
「美しいもの、未知なるもの、神秘的なものに目を見張る感性〔センス・オブ・ワ
ンダー〕を育むために、子どもと一緒に自然を探検し、発見の喜びに胸をときめ
かせる」(*7)
本として、この本を位置づけ推奨している。
フィクション、自然感覚も含むこれらの自然学入門の本も広い意味で科学読み物に入れることもできる。
板倉聖宣の言うきわめて人間的な本に近接する部分もあると思われる。
なお、科学を「仮説をもとにして実験観察をつみあげて法則理論の体系をつくりあげていくような学問」と
すると、当然、社会の領域や他の領域の本も「科学読み物」の範疇に入ることになる。そのような視点で
本選びを試みている。
以上、現在語られている科学読み物論を整理してみた。
注記 *1 中川宏 「子どもの本研究の領域と課題」 (季刊「子どもの本棚」1977,8)
*2 加古里子「科学読物」 (加古里子著『絵本への道』福音館書店1999,5)
*3 中川宏 「科学読物への小論」(「子どもの本棚」34号 1981,4 )
*4 庄司和晃 「仮説実験授業と科学読物の教育」(「学校図書館」1968年10月号)
*5 板倉聖宣 「科学読物の先駆」(『日本はじめての科学読物』国土社 1982,4)
*6 板倉聖宣 「科学読物と科学」(1999年11月講演 「科学読物研究」0号収録)
*7 上遠恵子 「子どもたちへの一番大切な贈りもの」
(レイチェル・カーソン著『センス・オブ・ワンダー』新潮社1996,7)
3.科学読み物の類型化
今回、上にまとめてきた「科学読み物」を整理し共通理解しやすくするために、以下の3つの要素から、
「科学読み物」を類型化することを試みた。
T 知識(自然・社会・技術等)、 U 科学、 V フィクション
もちろん、「科学読み物」の中には、これらの要素に単独に位置するものもあるし、重なった要素に位置
するものもある。
「科学読み物」
知識(自然・社会・技術)の本 科学の本
(科学読物)
探究の
自然・社会・技術の本 読み物 科学の本
図鑑類 科学遊びの本 (認識の過程)
伝記
自然・社会 予想の本
の読み物 発明発見物語
自然を感じる本
社会をイメージする本
フィクション
そこで、カガクヨミモノという言葉について、広く総称して言う場合は「科学読み物」とし、近代科学に限定し
た内容については「科学読物」もしくは「科学の本」としている。「読み物」という言葉は一般的な読み物と共
通する言葉でもあるからである。
(日本理科教育学会第50回全国大会発表資料)