2003,1,4  氷上大会資料
 
   授業書の読み物とイメージ
             ―授業書「ふしぎな石 じしゃく」を例に―
 
                                          西 村 寿 雄
 
1.授業書と文章
仮説実験授業が提唱されてきてすでに40年を迎えようとしています。わたしが約30年前に授業した
子どもたちが「ばねと力」や「三態変化」、「結晶」、「空気と水」などに書いた感想文と、今の子どもた
ちが書いている感想文と、ほとんど変わらないです。30年経った今も、仮説実験授業を受けた子ども
たちが同じ授業書で嬉々として科学の授業を受けている、これは何よりも授業書の確実な有効性と
科学性を示しています。これは教育界における画期的な出来事です。
 仮説実験授業がこうして長年にわたって継承され続けてきた背景には、〈いつだれがやっても、楽
しい授業になる〉という授業書の存在が大きいです。仮説実験授業が授業科学として再現できるあら
ゆるノウハウがこの授業書に込められているからです。つまり、仮説実験授業では授業書そのものが
時代を超えて長年にわたって楽しい授業を生み出してきたのだと言っても過言ではないでしょう。「仮
説実験授業は授業書通りにやればよい」「授業書通りにやることが大切だ」などとも言われる所以です。
 さて、その授業書は基本的には文章を読んでわかるようになっています。問題の意味や実験方法を
示すとき、補助的に挿絵やカットが挿入されていることはありますが、基本はあくまで「文章」です。子ど
もたちは、〈問題〉の文章を読んでどういうイメージを持ち、どのような予想するか、ここに仮説実験授業
の醍醐味があります。
 しかし、あくまで仮説実験授業は文字のわかる子とも達を対象にしています。授業書の文字を読むの
に抵抗のある子どもたちや低学年児などと授業をするときは、文章を補うそれなりの手段を各教師が試
みることも当然あっていいと思います。それは、担任のちょっとした補足や、挿絵、実物提示など考えられ
るでしょう。
 しかし、あくまで基本は子ともたちが授業書の文章によって内容を読みとることが原則です。それは、
授業書そのものが文章を読むことを前提に作られているからです。 そして、子どもたちが文章を通じて
自分なりのイメージをふくらませることを大切にしているからです。
 また、仮説実験授業の授業書では所々に〈読み物〉〈おはなし〉が入れられています。この仮説実験
授業の授業書における〈読み物〉〈おはなし〉は、たんに授業の内容を補足するというものではなく、ま
さに授業書の核心にあたる場合もあります。仮説実験授業の実験観にもとづく〈実験〉は、あくまで予
想に基づいて検証することですから、必ずしも器具を操作することではありません。科学者の実験結
果のお話や、見知らぬ自然界の話、宇宙の話、分子原子の話も立派に〈実験〉になりうるのです。こ
ういう場合、〈読み物〉〈おはなし〉と言えども、授業書においては重要な位置をしめています。
 〈読み物〉〈おはなし〉の場合も原則は文章による表現です。押しつけのないわかりよい文章をいか
に書くか、ここが授業書作りで最も苦心するところです。逆に言えば、〈読み物〉〈おはなし〉の言葉一
つ一つは最も吟味された言葉の結晶であるのです。もちろん、その〈読み物〉〈おはなし〉にもカットや
挿絵が描かれている場合がありますが、それはあくまで子どもたちのイメージをふくらませるのに最低
限必要だと判断される場合に限られています。「〈読み物〉が書けたらもう授業書ができたも同然だ」と
言う人もいるぐらいです。
 授業書の〈読み物〉〈おはなし〉をこのように重視している仮説実験授業は、逆にその運用上で〈おし
つけ〉の入り込む危険性があることを警戒しています。つまり、〈問題〉〈読み物〉〈おはなし〉などで、必
要以上に教師が追加補充してより強く理解を促そうとすると、そこでおしつけが入り込むことにもなり
かねないのです。
たとえ子どもたちからいろいろと質問が出た時でも最低限の説明でその場は切り抜けることが大切です。
〈読み物〉〈おはなし〉が重要だからこそ、その場はさらっと流すというのが仮説実験授業における〈読み
物〉〈おはなし〉の基本的な運営法です。
 そもそも仮説実験授業はその場の一つの〈読み物〉や〈おはなし〉〈実験〉だけで終わるものではあり
ません。かならず関連した内容が後にも続いています。そういうことを見越して一つの〈問題〉〈読み物
〈おはなし〉が書かれています。このあたりのことについて初期の板倉聖宣さんの文章をさぐってみます
と、
「読物」は授業で確認された科学の基礎的な概念・法則を中心にした話題を提供し、子どもたちの
視野を広げ、興味・関心をかきたてることをねらうものである。
 これらの「読物」は教室の授業や子ども達の日常生活でなかなか直接経験しえない事項を中心
とするので、その真実性を心から納得できるとは限らないが、そのことはあまり問題としない。授業
を通じて学んだ理論が自分たちのまだ直接経験していない部面で有効に利用されていることを知
らせ、「へぇー」「そうか」「そういうこともあるのか」という感慨が味わえればそれでよいとするもので
ある。
(『科学と方法』季節社)
 つまり、一つの〈読物〉でとことんわからせようというよりも、まずは一つのステップとして子どもたちに話
し、子どもたちが「へぇー、そうか」と思う程度の理解があればよいとしています。
 また、雑誌「たのしい授業」が発刊されて、イメージ検証授業にまで仮説実験授業の概念が拡張され
てきた時点で、板倉聖宣さんは読み物について次のようにも述べています。
  仮説実験授業やイメージ検証授業では、ほとんどどの授業書にも読み 物が入っていますが、授業
書の中にはその読み物が実験や討論以上に重 要な役割を果たすようになっているものがあります。
… …子ども達に感想を聞いてみると、討論が活発な授業よりも、そういう読み物中心・ 観察中心の授
業の方がかえって印象に残っていることがあることも分か っているのです。教師がそういう子どもたち
の内面的な状態をよく理解 しないと、ただ賑やかな授業だけにあこがれることになってしまいます。 そ
こで、改めて読む授業の重要性を訴えたいのです。
(「読むことの教育」 の復権を―「たの授」1986,4, 『たのし
い授業の思想』所収)
 つまり、ここでも仮説実験授業において授業書の文章を読むことの重要性を改めて述べておられるの
です。
 また、仮説実験授業を最も初期の頃から実践されてきた西川浩司さんは、最近の講演でもしばしば「子
ども達が自由なイメージを持つ」ことの大切さを強調されています。
  板倉先生が書かれた授業書の問題は、すべて絵になります。問題の文
 章を読んで、イメージを描く。そのイメージを発展させたり空想したり
 する。「ああなるかな、こうなるかな、どうなるかな」と空想していく。
 対象についてのイメージを描きながら空想する、それがその人間の頭で
 考えることだと、板倉先生が言っておられるんです。 
(西川浩司「授業書 と子どもたちの〈やる気〉」2000,11,18 高槻 『仮説とともに 9』所収)
 ここで西川さんは「授業書の〈問題〉はすべて絵になります。」とも言われています。さらに、授業書の問
題、お話など板倉聖宣さんの目をくぐり抜けた文章は、適度に子ども達の空想をかきたてる文章になって
いるとも強調されています。
 
 以上、「ふしぎな石 じしゃく」の構成上の問題に入る前に、少し仮説実験授業の授業書・お話の役割に
ついて振り返ってみました。
 
 
2.授業書「ふしぎな石 じしゃく」のねらいについて
 
 授業書「ふしぎな石 じしゃく」は1974年に西村が板倉聖宣先生の著書『ふしぎな石―じしゃく』(国土社)
をもとに、授業書化を試みたものです。その後長い間四条畷学園を初め、多くの人が授業にかけてくださっ
ていました。結果として、低学年にも使え子どもたちも大変喜ぶと言うことで、数年間にわたる授業書検討
会の後、2000年7月に〈授業書〉として印刷されることになったものです。なお、この授業書の完成に向けて
最終的に文章など検討したのは板倉聖宣、吉村七郎、桜井寿人の各氏と私です。もちろん、印刷後でも若
干の修正が必要と思われる箇所もないではありません。
それらについては次回の印刷前に検討する予定です。
 さて、この授業書はの最初の解説部分に次のような説明がつけてあります。
  この授業書は「じしゃくときんぞく」「じしゃくと石」の2部に分かれています。1部「じしゃくときんぞく」では、フェライト磁石などを使いながら磁石にくっつく金属をさぐります。また、コインを使って磁石にくっつく かどうかを、ひとつひとつ予想を立てながら確かめていき、「金属の中でふ つう磁石にくっつくのは鉄とニッケルとステンレスである」ことを学んでい きます。
 2部「じしゃくと石」では、「金属以外のもので磁石にくっつくものはな いか」と空想の輪を広げていって、「ふつうの磁石にくっつくのに砂鉄や磁鉄鉱(鉱物)や石・岩石などの磁性に目を向け、この地球のなぞを探求する夢をいだかせる授業書となっています。
  これは小学校低学年からたのしめます。
 さらに、この授業書のもとになった国土社の『ふしぎな石―じしゃく』
には著者である板倉聖宣さんの言葉として
  子どもたちは磁石をめぐって空想の輪をひろげ、いろいろ実験もして、この宇宙のなぞを探求したいというすばらしい好奇心をもっているのです。
  この本は、子どもたちが自分たちの心のなかのそういう探求心・好奇心に気 づくように話題を選び出したのです。
とあります。
 ここで強調したいのは磁石をめぐって空想の輪を広げ」「この地球のなぞを探求する夢をいだかせる授業書」
であることです。ですから、特に授業書の〈おはなし〉の部分の言葉には、上記の目的が達せられるように配
慮して文章化されているのです。
 
3.「ふしぎな石 じしゃく」授業書の構成
 
 第1部は「じしゃくときんぞく」となっていて、ここはほぼ以前からの授業書に最近の情報をくみ入れただけで
す。ただ、コインの出だしが100円玉から始めています。これは、以前の授業書案のように1円玉から始めると
子どもたちの正答率がほとんど100%近くになることもあったからです。最初の問題は少し抵抗感のある問題が
いいので新授業書では100円玉からにしています。これで、だいたいの予想数は1/3〜2/3の正答率になって
います。
 さて、第1部は、金属(かなもの)で磁石にくっつくのは鉄とニッケルとステンレス(ふつうのフェライト磁石の範
囲内)であることを確かめていく授業書です。今回は、これに付け加えて空き缶の見分け方など、生活との関連
問題も入っています。ですから、ここまでは小学校低学年児童でもそのままで楽しめます。
 この授業書の第2部は「じしゃくと石」となっています。ここでは、ある程度の仮説実験的な思考と、砂鉄の謎
探求への広がりをねらっています。子どもちの知的好奇心に応えられるように旧版より内容的に少し多く盛り込
んであります。ですから、小学校低学年児などには第2部の〈おはなし〉のある部分は子ども達の反応を見て軽
く読みすすめることもいいでしょう。
 
「ふしぎな石 じしゃく」第2部の構成は次のようになっています。
【しつもん1】 P14  
        きんぞくで できたもののほかに じしゃくに
        くっつくものが あると おもいますか。
  【さぎょう】砂ばを しらべよう   P15
         ―砂の観察と砂場での砂鉄集め―
  【おはなし】砂鉄のはなし(1)  P16
砂鉄は どこから 砂のなかに はいってきたと
おもいますか。 ― ―
         砂鉄は、むかし 岩の中に はいっていました。
         ― ―
        砂鉄のはなし(2) P17
         砂鉄といっても 砂鉄は 鉄そのものでは あり
         ません。 ― ―
         砂鉄は このくろさびと おなじです。― ―
         それでは 砂鉄は どのようにして できたので
         しょうか。 ― ―
      (特にこのお話は中高学年向きです。)
  【おはなし】砂はまのはなし  P18
         とくに 砂はまでは 砂鉄がたくさん あつまって
         いるところが あります。 ― ―
  【もんだい1】 P19
         ここに、小石が いくつか あります。
このいしにのなかに、このじしゃくに くっつく石
が、あるでしょうか。
【おはなし】じしゃくにくっつく石  P20
         小石にも じしゃくに くっつくものが あります。           ― ―
         それは、小石のなかに 砂鉄が はいっているから
         です。
  【もんだい2】 P21
         ― ―
         それでは このじてっこうに 鉄でできた ホッチ
         キスの はりが くっつくでしょうか。― ―
  【おはなし】ふしぎな石 磁鉄鉱
          ― ―
         この石の中には、じしゃくと おなじように 鉄を
         よくすいつけるものが あるのです。 ― ―
  【ゆかいなむかしばなし】 じしゃくで できている 島  P23
  【おはなしづくり】  P24
  【おはなし】 いろいろな じしゃく   P25
  【じゆうけんきゅう】 P26
  【かんそう】  P27
 
 この第2部で〈問題〉と設定している所は2箇所あります。見方を変えればこの二つの〈問題〉がこの授業書の
骨組みを作っている部分です。特に、〈問題1〉では子どもちがいろんなイメージをぶつけ討論にまで発展するこ
とを想定しています。従って、この〈問題1〉の前に来る〈おはなし〉P16は〈問題1〉の大切な伏線になっている部
分です。読み物として大切な場所です。その意味から特にここの〈おはなし〉の文章には最大の注意をはらって
書かれているのです。このページの〈おはなし〉をここに転記してみます。
【おはなし】 砂鉄のはなし(1)
 じしゃくに すいつく、砂つぶの ことを、砂鉄と
いいます。
 
      砂鉄は、どこから 砂のなかに、はいってきたとお
もいますか。ちかくの 山から でしょうか。
 それとも、ちかくの 川から でしょうか。 それと
も、どこかの 工場から まよいこんで きたのでし
ょうか。
 
 砂鉄は、むかし 岩の中に はいっていました。
その岩が こわれたとき、岩のなかから 砂鉄が で
てきました。
 そこで、砂の中には 砂鉄が ちいさな 石のかけ
らと いっしょに まじっているのです。
 
 このページには、まだ4行ほどの余白があり、もう少し文を付け足すこともできます。挿絵などを入れることもで
きます。しかし、ここはあえてこれぐらいの文章で収めてあるのです。
 「砂鉄は むかし 岩の中に はいっていました。」
という文を読んで子どもたちはどんなイメージを描くでしょうか。
 「えっ、岩の中にって、どんなふうに砂鉄が入っているの?」
 「砂鉄のかたまりで入っているの?」
 「はじめから小さな砂鉄なの?」
など、さまざまな思いを抱きます。ここでは、子どもたち一人一人がそれぞれに持つ「岩の中の砂鉄」のイメージ
を大切にしています。
 そのことが19ページの〈もんだい1〉と連動してきます。〈もんだい1〉で、「この石の中に このじしゃくに くっ
つく石があるでしょうか。」と問われると子どもは自分のイメージをフル回転して予想します。
 実際、子どもたちの討論を読んでみると
 ・白い石が、砂場の時にくっついてきたから、その石の中にもくっつく  ものがあると思う。
 ・砂場の砂は砂鉄が入っとったからひっついたけど、そこの石の中には  砂鉄が入っていないと思う。
 ・見た感じで、くつつきそうにない。
 ・砂鉄みたいな黒い石が入っとるけど、くっつくとは限らない。
 ・大きい石はくっつかんと思う。
 ・砂場の小石と、その石は大きさが違う。
 ・砂場で砂鉄を探したとき、小さい石がくっついてきたから、その石の  中にもくっつく石があると思う。
           (香川・福栄小学校 6年 角友仁さん 2001年記録)
と、様々な考えを思い浮かべていることがわかります。
 この〈問題1〉の実験の後、実験結果を補足する意味で【おはなし】「じしゃくにくっつく石」P20があります。ここ
もふつうは文章だけで読みとれるように書かれています。しかしここはイメージの定着をはかる場面です。です
から教師の方で少々挿絵や図解などを付け加えてイメージ化の手助けをされるのも、特に低い学年の子どもた
ちには有効かもしれません。
 もちろん、今後授業記録等に注意しながら、〈よみもの〉で子どもたちがどのようなイメージを描いて〈もんだい1〉
にのぞむか追跡していきたい所です。もし、16ページの〈おはなし〉に表記された文章のみでは、〈問題1〉への
かかわりがあまり認められないとしたら、〈おはなし〉の部分の改訂をしなければなりません。今のところは、まだ、
そのような必要性は特に感じていません。
 今年の夏の大会のサマースクールで渡辺慶二さんがこの授業書を使われていました。渡辺さんはとりたてて
挿絵など使わずに授業書の通り進められましたが、低学年のこどもたちも来ていました。その中の一人、池田麟
太郎くん(小学2年生)は後々までお母さんの京子さんにいろいろと砂鉄の話をしたそうです。さらに、約1ヶ月後、
夏休みの読書感想文にも『ふしぎな石 じしゃく』の感想として米子での感激を1000字にもわたって書いたというこ
とです。このことについてお母さんの池田京子さんは
 〈ふしぎな石 じしゃく〉の授業を受け、その時の様子・ことば・表情だ  けでは全く分からなかったけど、麟太郎の頭の
中にはしっかりとふしぎな石 じしゃくのことがきざみこまれ、磁鉄鉱のこと、砂鉄ができていく様子のこ となど、いろいろ
と想い描いていたんだなぁ、想像の翼を思いっきりひろげ ていたんだなあと驚いてしまった。
   (「〈ふしぎな石 じしゃく〉に ひきつけられて」池田京子 四条畷学園講座資料)
と書かれています。この授業書の文章だけで小さな麟太郎くんの頭の中は磁石の不思議さでいっぱいになって
いたことを物語っています。
 
 最初に書きましたように、仮説実験授業の授業書は基本的には文章を読むことで授業は成立します。そういう
ことを前提に仮説実験授業は成り立っていると言っていいでしょう。特に、授業書の中の〈おはなし〉などは、子ど
もたちが文章からいだくイメージを大切にしたいところです。たとえそれで中途半端なとらえ方であっても、そのこ
とが後の〈問題〉で適度な拮抗を生み、討論、実験を通してより確かな認識へと結びついていくのです。それがこ
の「ふしぎな石 じしゃく」では16ページの〈おはなし〉に当たります。
 最後に、少し長いですが西川浩司さんの講演録から再び引用してみます。
 子どもたちは(板倉先生の)授業書の筋道にそってちゃんとイメージを描 きながら考えている。これは凄いんです。だか
ら先生が小細工する必要は全 くなくて、子どもたちが授業書の問題意味を理解しながら、先生はちょこっ と実験をやっ
て、自由に考えられる場を作ることが大切です。授業の進め方 そのものは、子どもたちが問題の意味を理解したら予想
を立てて、理由を言ったり、討論したりして、実験によって決着がつきます。子どもたちは実験 を見て「ああそうか」と思う。
予想というのはその子どもの予想であり、子 どもが何か意見を言いたかったら言うし、聞きたかったら質問をする。その
へんも全く自由です。ここで先生が余計なことをごちゃごちゃ言うと予想が 狂って、子ども自身の予想でなくなります。だ
からあまりごちゃごちゃ言わ ないで「問題の意味が通じればいい」という程度にものを言うことです。
       (西川浩司 「授業運営の基本」1996,8 高知にて 『ラディカル』12 所収)
 ここで話されていることは〈よみもの〉を読むときも同じです。
 結論的には、個別の特別な事情のない限り授業書を信じて授業書の通りに授業を進めるのが仮説実験授業の
基本であることを確認したいのです。
                                                         2003,1

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