2009,11,23

「連続小説」で科学読み物を       

 西村寿雄

                   

このところ,「朝の連続小説」として,朝の一時を読み物で過ごされ
る教室も増えている。〈お話を耳で聞く〉という手法は,昔はよく用い
られていた。古老の昔話や母親による読み語りが子どもの楽しみだった。
私などはラジオによるドラマや「お話玉手箱」,「ラジオ図書館」など
を聞いて大きくなったものである。

しかし,核家族化が進んだ今,おじいちゃん,おばあちゃんによる昔
話を聞く機会も少なくなった。テレビやビジュアルな絵本,写真本など
が普及した今,ラジオに耳を傾けることもなくなった。

しかし,人間は,目で見る文化が進めばそれでいいのだろうか。

人間には,大切な五感の一つに〈聴覚〉がある。聴覚は〈ものの音を
聞き分ける〉という大切な働きと同時に,人間の脳にかけがえのない
〈想像力〉をかきたてる。昨今のように,アクションのきいたテレビの
画像やビジュアルな写真に子どもの時からならされていると,人は〈自
分で想像力をかきたてる機会〉を奪われているのではないかと思う。

『朝の連続小説』(仮説社)の編者,杉山亮さんも「テレビ中心のビ
ジュアルな世界にどっぷりつかって、絵がないままに話だけで頭の中に
情景を思い浮かべるのに慣れていない子の方が多いと見た方が正解に近
いだろう」と書いておられる。おそらく多くの方が,このように子ども
たちの〈想像力の欠如〉を危惧されているのではないだろうか。

お話を耳で聞く楽しさを子どもたちに伝えたい,そんな願いをこめて
最近は「朝の連続小説」(朝の読書活動)が各地の小学校などで行われ
ている。しかし,お話として登場するのはほとんどが文学ものである。
もちろん,耳でじっと聞いてドマチックな展開にハラハラドキドキして
楽しい雰囲気に浸れるのには,小切れのいいお話や小説がまず一番だろう。

その雰囲気に科学読み物も割り込めないだろうかというのが私の提案で
ある。

 

もちろん何人かは〈朝の連続小説〉で科学読み物の試みもされている。
先の『朝の連続小説』では「名作動物ランド」(ブィタリーメビアンキ著)を小
谷田照代さんが,『朝の連続小説』
2では『ぼくがあるくと月もあるく』
(板倉聖宣著)を井藤伸比古さんが報告されている。とはいえ,全体の
数から言えば科学読み物はないに等しい。

では,なぜ一般に科学読み物が〈朝の連続小説〉に取り上げられない
のだろうか。

それは,朝から聞いて,〈楽しいと思える科学読み物〉がないという
一語に尽きる。

現在出版されている多くの科学読み物は,子どもたちに自然や科学を
分かりやすく説くことに力点が置かれている。そのために,写真やさし
絵も多用され,自然や科学を理解させることが大きな目的になっている。

しかし,これらの本は,何かの知識を知りたいときは役に立つが,こと
さら問題意識がない段階では,おもしろくも楽しくもない。これが現在
市販されている科学読み物の大半である。

 

ここで,科学読み物の役割を考えてみたい。〈科学読み物〉について
は早くから板倉聖宣先生が言及されている。科学読み物は仮説実験授業
と一体となっている。

「 科学の本というものは、何かの知識をみにつけるためだけに読
むものではありません。むしろ、子どものときには、〈科学の一つ
一つの知識〉よりも〈科学の考え方のすばらしさ〉を教えてくれる
ような、そういう読み物のほうがずっと大切なのです。

私が小学校のころはじめて感動した本は、そういう本でした。」
      (『科学の本の読み方
すすめ方』仮説社)

「 よく〈科学は冷たい〉などという人がいますが、それはまちがっ
ています。自然そのものは冷酷かも知れませんが、科学はちがいます。
科学は人間がつくりあげてきたものであって、そこには人間の血がか
よっているのです。ところが多くの人が手にする図鑑風の本には、科
学のもたらした知識の断片が書きつらねてあるだけのものが多いので、
科学というものは冷たいものだと思われたりしできたのです。

しかし生きた科学の世界を知らせる本は、まだ見知らない事物の存
在について豊かな夢をもたせ、新しいものを見い出しつくりだしてゆ
くおもしろさを知らせ、さらに、そういうことを可能にした人間の知
恵のすばらしさをしみじみと感じざせるものになりうるはずです。」
    (『ジャガイモの花と実』あとがき)

 まさに,板倉聖宣先生が書かれているように,科学の本というのは本来,
人間の知恵のすばらしさを感じさせてくれ,自然界のすばらしさに感動さ
せてくれる本である。

では,そういう本は,〈科学読み物〉としてないのだろうか。大正,昭
和の初め頃には,読み物を主体とした科学読み物がたくさん出版されてい
る。さきほどの板倉聖宣先生の話に出てくる本『兒童物理化學物語』
(友田宣孝他著 小學生全集 昭和三年(1928) 文藝春秋社)の絵は簡単なさし
絵程度で,化学の本とはいえ,お話調の縦書きの文章である。

 また,昭和の初めには『小学国語読本』で,自然の話や科学の話も挿入
されていた。皮肉にも,「理科教育」が確立されると,科学読み物は学校
教育から遠ざかってしまった。わずかに,国語の教科書に「読み物」とし
て自然や科学の話も挿入されている程度である。

 1960年代頃から戦後の科学読み物ブームがあった。その頃の本には,板
倉聖宣先生を初め,かなり読み物調の楽しい本も出ていた。当時国土社か
ら出版された「少年少女科学名著全集」や「発明発見物語」,岩波書店の
「岩波科学の本」など,シリーズものもたくさん出版された。しかし,そ
の後の科学読み物の主流は,写真技術の進展と共に,写真を主体としたビ
ジュアル本に変わっていった。

もちろん,目的意識さえあれば,それらの本も,ふだんあまり目に出来
ないミクロの世界や,自然界の不思議など,初めて知る世界へ導いてくれ
る本もたくさんある。写真家の鋭い目が,自然界の神秘さを伝えたりもし
てくれている。

さて,今も科学読み物の出版数は多いが,「朝の連続小説」に使える本
というとそれほど多くない。「朝の連続小説」に使える本には,いったい
どういう本があるのだろうか。

「朝の連続小説」では,子どもたちが手にとってながめられる本とは違
って,文章を聞くだけで分かる本をまず選定しなければならない。子ども
たちには〈耳〉だけからの伝達されるので,文章だけで子どもたちの想像
力をかきたてる本が好ましい。もちろん,少しぐらいのさし絵程度であれ
ば,拡大コピーでもして子どもたちに補助的に見せながらのお話も可能か
も知れない。

 今回,〈朝の連続小説〉として使ってよさそうな本として,いくつか選
んでみた。選ぶ際に,下記のものは選定から省いた。

  1. 〈実験〉などの入った本や工作もの。

2.  込み入った描写や解説調の本,専門用語の多い本。

3.  さし絵や写真がないと理解しにくい本。

 やはり,基本は,語り口調の本である。読者にやさしく語りかけている
文体の本を選んでみた。そういう本は,たとえ写真やさし絵が多くても
(つまり,子どもたちは写真やさし絵を見なくても)子どもたちは聞いて
くれるのではないか。やさしい本であれば文章だけでも十分に理解が出来
ると思う。かえってそういう本は,さし絵や写真を見ない方が,子どもた
ちも想像力をかきたてられるかもしれない。これは,〈ひとつの実験〉で
ある。今回をキッカケにクラスでこころみてほしい。

 以下,選定してみた本である。現在手に入らない本もあるが,図書館な
どで借りることが出来る。

       「連続小説と」お薦め科学読み物リスト 
  
              TOPへ