植物栽培と環境
[はじめに]
私が実践してきた「植物栽培」は、直接、今の環境問題と
むすびつくわけではありません。
植林とかの取り組みであれば、森林の乱伐を考えるという
ことにもつながるかも知れませんが、小学校での植物栽培で
は、小さな範囲での自然の法則などを学ぶことぐらいしかで
きないのではないかと思います。
しかし、色々な植物を栽培することによって、自然界の法
則を身をもって体験することができますし、自然を見る目と
いうのでしょうか、そのようなものを育てることはできるの
ではないかいと思います。
[ワタを育てよう]
小麦を育てて、パンをつくるという実践が盛んですが、私
の場合は、ワタに興味がありましたので、ワタの栽培をする
ことにしました。
夏休み中の水やりなどの苦労がみのり、二学期になると、
ワタの実がはじけて白いワタが姿をみせはじめました。
収穫したワタは、単に糸つむぎだけでおわるのではなく、
くらしに役立っていることをつかませることもねらいました。
脱脂綿と収穫したワタが同じものだということは、容易に
想像がつきます。しかし、木綿糸(たこ糸なども)や木綿の
布が、ワタからできているというのは、実感としてはとらえ
にくいので、木綿の布をほどいて、糸が織られてできている
ことと、糸をほぐしたらワタのようになってしまうことを作
業して確かめました。ついでに、ワタを糸に紡ぐ場合、手で
やるのは時間もかかるし、撚りも弱いので、道具を使った糸
つむぎもやってみました。道具といっても、本格的な糸つむ
ぎの道具がありませんので、簡単な手作りの道具を使うこと
にしました。
ワタは、古代のエジプトで栽培されていたというほど、歴
史のあるもので、その古代エジプトでは、ワタを糸につむぐ
のに、スピンドルという道具を使っていました。これは、コ
マがくるくる回ることによって糸に撚りがかかるのを利用し
たわけです。わりばしと厚紙を使った方法で、クラスの子ど
もにやらせてみました。思ったより簡単に糸に撚りをかける
ことができます。
なお、ワタの繊維の部分ですが、他の植物の場合、やわら
かいものは、果物のような食用で、固いものはヘチマのたわ
しなどになっているということも、ここで取り上げます。
[藍を育て、木綿の布を染めてみる]
藍染めに使う「タデアイ」を数年前から育ててきました。
本格的な藍染めには、葉の量がまるで足りませんので、は
じめのうちは、「藍の葉のたたき染め」をしていました。
藍には、何種類かあるようですが、私が育てているのは、
「タデアイ」といって、小さな子がおままごとでご飯のかわ
りに使う「赤マンマ(イヌタデ)」のなかまです。どちらか
というと野草の一種ですが、藍には、殺菌作用や薬草として
のはたらきがあったりして、昔から重宝されてきたようです。
さて、藍の葉を発酵させて、藍玉を作る本格的な「藍染め」
の方は、発酵の作業が手におえませんので、市販されている
すくも藍を使って藍のしぼり染めをハンカチでやってみまし
た。
なお、この藍染めは、単に歴史や文学教材との関連だけで
なく、酸素との結合により藍色に発色しますので、理科の燃
焼や酸のはたら授業とも関連づけました。
[赤ごめを育てる]
古代食ブームもあり、ちょっとしたきっかけから、赤米や
黒米のモミを入手したので、早速栽培することにしました。
歴史学習の一環として見学した明日香の石舞台では、脱穀
した赤米が売っていました。
これも、店の人の「発芽しますよ」の一言を信じて、蒔い
てみました。数日後、クラスの子が「先生、籾のないほうの
赤米が出てるで」というので、見ると何本もの芽が出ていま
す。籾におおわれていなくても、胚芽があれば発芽する可能
性があるということが実感されたようです。子ども達一人一
人にも、自宅で栽培するように赤ごめ(モミなしの方)と、
学習係がブレンドした土をもって帰らせました。
この他にも、色々栽培してみましたが、全体として手をか
けないときちんと収穫できないということがよくわかります。
そばは、やせた土地でも育つといいますが農地の中で比較
した「やせた土地」だったのだということも、あらためて思
い知らされます。
さて、何を栽培するにしても、観賞用の植物を除けば、人
間が栽培する植物は、くらしに役立つから育てているのだと
いうことを、子どもにわからせていく必要があると思います。
種子の発芽など、自然界のきまりを学習するために植物を
取り上げるのだといえば、確かにそうなのですが、人間社会
で栽培している植物には、それが登場してきた背景というか、
理由みたいなものがあると思うのです。
理科の授業であっても、その学年の子どもに理解できる範
囲で、植物とくらしとのかかわりを取り上げる必要があると
思います。
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一時期、わりばしが森林破壊の元凶のようにいわれたこと
がありましたが、東南アジアの森林伐採の多くは、どちらか
といえば、パルプの原料や、コンクリートを流し込むときに
使用するコンクリートパネルの材料として、根こそぎ伐採し
ていくようです。そんなことで、わりばしのほうも、国内の
わりばし業者の声によると、杉の間伐材を使っているという
ことで、見直されつつあるようです。
最近の環境保護の学習会に行くと、杉の場合、間伐材を切
り出さないと、逆に杉林そのものもダメになってしまうとの
ことです。しかも、間伐をするにも、間伐材が一定の費用で
売れないと、人手と経費の点で採算がとれず、結局ほったら
かしになってしまうそうです。また、杉林も必要かもしれま
せんが、土壌をつくる大きな要素としての落葉のことも忘れ
るわけにはいきません。
戦後、ブナ林のような落葉樹の森林を大量に切り倒して、
針葉樹ばかりにしてしまったのも、土壌や保水のことを考え
ると、それでいいのかなと思ってしまいます。
このことは、一つの局面からだけ環境問題を考えたのでは、
不十分だということを示唆している気がします。
いろんな局面を考えて、総合的に環境を考えているのかと
いう事が大切だと思います。
もっとも学校での授業では、子どもの発達段階を考えると、
一局面を考えさせるのが精一杯だと思うのですが、教える側
には、総合的な視点は不可欠だと思います。
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