ベトナムの社会事情 ベトナム一口メモ


ベトナムコーヒーをご存じ?
 ベトナムのコーヒーは、仏領インドシナ時代の19世紀にフランス人がゴムや茶と共に持ち込みました。
南部高原地帯のバンメトート、ダラットが産地で、今では年間21万トン、4億9400万ドル(約550億円)を
輸出(1995年)するほどです。
その多くを日本が輸入しているのは余り知られていません。
プラジルやコロンビア産の高級品種アラビカ種でなく、品質の落ちるロプスタ種のため、日本ではブレンド
コーヒーに混ぜて売られているそうです。
ベトナムコーヒーは、アルミ製の特殊なフィルターでカップごとにドリップする珍しい方法です。
街角のいたるところにカフェがあり、いつでもコーヒーが飲めますがトロッと濃厚なのでどうも馴染みません
でした。

美しい民族衣装・アオザイ
 女学生の真っ白のアオザイ姿はベトナムの
田園風景と実によく調和します。
脇から割れたサイドベンツのドレスが風に舞いまるで
天使のよう。
ベトナム戦争時に皆無になり戦後、女学生の美しい
民族衣装の制服として復活、白色のアオザイは暗い
時代からの脱皮の象徴として国民の心によみがえった
歴史があります。
 結婚式やパーティ、お正月に着ますが、ホテル等でもよく見られます。
すべて誂えで、金額はポリエステル製で2000円位から、シルクの生地が高級品で5000円からあります。
上半身だけで13箇所の栽寸、体型に合わせてぴったりと縫製するので2Kg太ると着れないそうです。
だから細身でないと着こなせません。
下はパンタロンで生地が薄く下着が透けて見えるのでドッキとします。
着ている女性はいたって平気で、むしろ見られること当前としているようです。
 どう考えてもアオザイはベトナムのファッションとしては垢抜けしすぎています。
チャイナドレスを原型にフランス植民地時代に出来上がったらしく、私の推測ですがフランス人はベトナムの
女性に透けた服を着せて楽しんだのではないかと?。

ベトナムの市場

<市場で売り歩く女性>
 その国の庶民の暮らしを知るには市場を見ればよく
わかる。
ホーチミン市のベンタイン市場などは1914年に
フランスによって造られた市場だが、11kuのなかに、
一坪くらいの区画で食品、雑貨、衣料、家電、化粧品、
貴金属、食堂などありとあらゆる商店が並んでいる。
各地にも形態や規模は違うが必ず市場があり活気を
呈している。
値程表示がないので全て交渉。
ところが店を取り仕切っているのはほとんどが女性で
大阪人でも顔負けの商売上手。
店舖をもてない人は、露天で商売を行う。
街角や通りにはめん類やご飯の屋台が繁盛して
いるが、食器をバケツの水で洗い流すだけなので
遠慮した。

<オンニャイ市場の肉屋で>

<自転車で麻糸を売る>

ベトナムの代表的交通・シクロ
 シクロはベトナム語で乗り物のこと。
料金は全て交渉、大体5000ドン(50円)。
バイクやタクシーに押され年々、減少。
その分は外国観光客から取り戻そうと吹っかける事が
あり、評判はよくない。

ホーチミン廟の子供たち
 1969年に亡くなったホーチミン主席の遺体が
30m四方の大理石の廟内に安置されている。
以前はフランスの動物園であったが衛視の厳重な
警備で物々しい。
学校から子供たちも毎年、色とりどりの服で正装し
訪れる。
明るく人なつこく英語をしゃべるのにはびっくり。


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