39 1997年5月号
今号から調査研究報告

飛躍的な発展の国ベトナムへ アジア大競争の時代への対応

 大阪の商工業は韓国、台湾、香港、タイ等のアジア諸国の活発な経済活動の影響で空洞化や不況の
一因になっています。
1994年に日本初の24時間空港の関西国際空港が開港しましたが、ソウル、香港、シンガポールでも
アジアのハブ空港をめざし新空港を建設中で「アジア大競争の時代」を迎えたと思います。
 議員活動でも時代の変化に対応できる中小企業対策や国際化に向けた政策が求められています。
その政策立案のため久しい同僚議員(谷口、竹本、井戸根府議)に声をかけ、アジア経済圏のなかでも
1986年のドイモイ政策以後、飛躍的な経済発展を遂げたエネルギッシュなベトナムを4月14日から
18日までの5日間にわたり訪問してきました。(自費視察です。念の為)
今回の調査研究テーマは@政治、A経済、B医療福祉、C教育、D大阪との交流、E社会事情などです。

【政治】1995年のASEANへの加盟や米国との国交回復等、国際社会へ完全復帰を果たしたベトナム
政府の動向。政治改革の実態。
《調査先》ベトナム国会事務局国際部、ベトナム人民議会(国会)、統一府、ベトナム戦争犯罪記念館。

【経済】1986年ドイモイ政策以降、社会主義志向の市場経済制の導入で、GDP成長率が9.5%(95年)と高い
経済成長の経済事情。特に税制度、日本からの投資について調査。
《調査先》ベトナム政府計画投資省(MPI)、ベトナム政府商務省、ベトナム商工会議所、タントゥアン輸出
加工区(ホーチミン市)、日系進出企業

【医療福祉】ベトナム戦争の枯れ葉剤後遺症の医療対策と障害者の福祉対策。
《調査先》ホーチミン市ツーズー病院

【教育】戦後の後遺症を引きずりながらの識字率は95%、義務教育就学率は76%(小学校96%)と
教育水準が高い本質は。
《調査先》教育省

【大阪とベトナムの交流】社団法人大阪国際ビ ジネス振興協会(IBO)が窓口で、1996年に府が
ホーチミン市にベトナム連絡事務所を開設、府下の中小企業との今後の交流のあり方や支援策を研究。 《調査先》ベトナム商工会議所ホーチミン支部。

【ベトナム社会事情】ベトナムの社会問題や交通事情、ベトナム人の生活など最新情報。
《調査先》ベトナム商工会議所ベンタイン市場、オヤニャイ市場、中央郵便局他。

【その他】ベトナム戦争の実態(統一府、ベトナム戦争犯罪記念館)、ホーチミン市とハノイ市の比較など。
数回にわたりご報告します。


ベトナム調査研究日程 1997年4月14日〜18日

14日 10:45 関空発(CX-502)
12:35 香港着
14:45 香港発(CX-791)
15:35 ハノイ着 宿舎 ソフィテル・メトロポールホテル
 
15日 8:00 ハノイ市ホーチミン廟視察
9:30 オヤニャイ市場視察
10:30 ベトナム商工会議所会見 ファム・チー・ラン書記長(副総裁)、 ウェン・ラウ・タン副局長、
ブー・ティ・キム・ニューウン書記
13:00 ベトナム政府計画投資省(MPI)会見 ボー・ホン・フック副大臣、ホー ワン・ミン国際局長、
グエン・アン・ティン外国投資主任
14:30 ベトナム国会事務局国際部会見 ズン・ザック・ズン国際部副部長、ギム・ブー・カイ博士
15:30 ベトナム政府商務省会見 マイ・バン・ザウ副大臣、グエン・バー・チェックアジア太平洋局長、
ゴー・タイン・ズーン日本担当官
17:30 ハノイ発(VN-919)
19:30 ホーチミン着 宿舎・ニューワールドホテル泊
 
16日 8:30 タントゥアン輸出加工区視察、日系企業ダイワプラスチック工場視察懇談
10:30 ホーチミン市人民委員会会見ムウェン・ハウ官房長
14:00 ツーズー病院視察・懇談 ベト、ドクちゃんお見舞い、ター・ティ・チョン副院長、
パム・ビェット・タン副院長
16:00 ベトナム商工会議所ホーチミン支部会見 IBO視察ウェーン・ヒュー・ハイ総裁
18:00 大和銀行ホーチミン市駐在事務所
 
17日 9:30 教育省ホーチミン市代表事務所、ムエン・ハウ・フォンラオ副所長、 ロー・ユー・ツエット専門官
13:00 統一会堂、 中央郵便局視察
15:00 ベトナム戦争犯罪記念館視察
16:00 ベン・タイン市場視察
 
18日 11:10 ホーチミン発(CX-766)
14:35 香港着
16:25 香港発(CX-502)
20:45 関空着
(注) CX・キャセイ航空 VN・ベトナム航空

ベトナム調査研究報告@ 医療事情
ベトナム戦争・枯れ葉剤の爪痕 奇形児の出産率は1/100

南ベトナム地方の基幹病院 ツーズー病院を訪問

 ベトナムの医療機関は公立病院。医師はすべて公務員です。
医療設備は遅れており、医薬品も不足しています。
政府の保険制度の整備が遅れているためか受診率は低く、ホーチミン市やハノイ市には外国人向けの
大手保険会社の会員制病院が繁盛しています。
60人の企業の場合、年間2600ドル(約33万円)の会費で社員が会員制病院を利用できるそうです。
 今回、訪問した産婦人科総合病院のホーチミン市立ツーズー病院は、ベトナム戦争の枯れ葉剤の影響を
受けたベトちゃん・ドクちゃんが入院している病院です。
ター・ティ・チョン副院長、パム・ビェット・タン副院長の案内で病院内の視察や、意見交換を行いました。
 ツーズー病院は治療以外に、1.予防、2.研究、3.教育(大学医学部)、4.南ベトナム地方の県病院の
指導なども行っており保健所、研究所の 機能も有しています。
特に、ベトナム戦争で使用された枯れ葉剤の研究は有名です。
枯れ葉剤によって奇形出産した胎児の標本が保存されている研究室に案内されたときは「一瞬、息がつまり
戦争の悲惨さ残酷さを思い知らされました」。
ター副院長は「写真を撮ってください。このことを日本でも訴えてください」と言われたことは、ベトナムの
人々の平和への強い"執念"を感じました。
 兄のベトちゃんは病室で寝たっきりの 生活ですが、弟のドクちゃんは近くの学校に元気に通学して
います。
病室に日本のパソコンが置いてあるので不思議に思い質問すると、ドクちゃんが学校で習ったパソコンで
作曲して兄に聞 かせているそうです。
ベト・ドク兄弟も既に16歳。
日本では障害者は福祉施設に入所できますが、ベトナムでは福祉施設の整備が遅れており、ベトちゃんの
ように多くの障害者が病院で収容されています。
これからは福祉施設 の整備が急がれます。
 年間の産科患者は34,399人。
そのうち分娩は30,949人ですが、異常分娩は13,747人(44.42%)と大変高く、帝王切開は
8,126人(26.26%)と多い、母体死亡も12人に上っています。
そのなかで、奇形赤ちゃん(胎児)の出生率は、1/100以上の比率です。
ベトナム戦争直後は、1.5/100以上であったそうですが、それでも同病院で年間300名を越える奇形
赤ちゃんが生まれています。
一日に一人の障害者が生まれる計算になります。
欧米が1/1000以上であることから10倍も高い原因は枯れ葉剤(ダイオキシン)の影響です。
また、婦人科の患者15674人のうち、623人(3/100)が卵症(胞状奇胎=ぶどうご)でアジア地域の1/500と
比較しても高く、これも枯れ葉剤の影響と見られています。
 戦後22年の今もベトナム戦争の影を多くの障害者が背負っているのは、高度医療技術や機器の不足が
原因です。
 大阪府には胎児の段階で奇形児を発見できる府立母子保健総合医療センターがあり、連携や医師の
交流によって障害者の出生が防げます。
ター副院長の強い要望もあり両国の医療交流の懸け橋に努めたいと思っています。

◆患者と病院の知恵くらべ◆
 お金持ちから高く治療費を取るのがベトナムの病院の原則。
ツーズー病院の産科の平均入院日数は3日間、入院費用はお金持ちと低所得者と違うところがユニーク。
お金持ちからは、クーラー、温水、テレビ付の病室で1日20ドル、手術費を30ドルの合計90ドルをとりますが、
低所得者は全部で30ドルです。(ドル=米ドル)
 低所得者の判定は行政機関に地方判定委員会がおこないます。
ところが、お金持ちは不正証明書を入手して低所得者に成りすまします。
それでも、病院ではお金持ちと低所得者を見分けます。
看護婦がこっそりと患者の食事の中身を見て判定するそうです。
患者と病院の知恵くらべが面白い。

◆アルバイト公認の医師◆
 医師はすべて公務員。
公立病院の医師は午前7時30分から午前10時30分、午後12時30分から午後3時30分まで勤め、月給は
平均150ドル。
とても生活はやって行けないので夕方5時から7時頃まで自宅で診察のアルバイト。
腕のよい医師は100人位の患者をもっており、保険制度が不整備で治療費はすべて現金で1回1ドル、
薬が2ドル。
月に平均400ドル以上の副収入です。

◆ 患者が医者を選ぶ診察システム ◆
 日本では、病院は選べても医師を選ぶことはできません。
ツーズー病院では待ち会い室に医者のリストが掲げてあります。
そして医師の値段表まで記載されています。
患者が値段と医師を選ぶことができます。どこが社会主義の公立病院か理解に苦しむシステムですが、
資本主義社会よりも自由なシステムに驚きました。

◆ 子供2人以上は避妊無料 ◆
 ベトナムでは、人口抑制策として35歳以上で、子供2人であれば避妊手術は無料で行っています。
同病院だけで年間38,827件(96年)の誘導中絶を行ったそうです。

[ツーズー病院]・・・1996年統計の年間予算は49,096,978,786ドン(約4億9000万円)。
収容は910ベッドですが、実際は1,000人以上収容。
職員は1,168人そのうち150人が医師、看護婦400人、薬剤師15人、その他603人。
南ベトナム地方の基幹病院で農村部や山岳地帯の自動車派遣隊が28チーム。
外来患者67,436人、入院患者62,771人。産科34,399人、婦人科15,674人。

40 1997年6月号
ベトナム経済の今後の行方

ドイモイ経済政策導入の背景 目立つ法律・インフラ未整備

 ベトナムの急激な発展はドイモイ(刷新)政策の導入にあります。
社会主義でありながら自由経済を導入した背景、成果の調査研究が訪越の大きなテーマです。
1975年のベトナム戦争後、南北統一を果たし、北ベトナムで行われていた社会主義システムを急速に
導入したため、南ベトナムの華僑が反発、大量の難民問題(ポートピープル)に発展しました。
さらに77年の干ばつや水害に見舞われ、78年のカンボジア進攻や中越戦争などで国内は、@3桁の
インフレ、A巨額な財政赤字、B歳入の約3割を依存していた旧ソ連、東欧諸国からの援助の急減、
C 国営企業の行き詰まり等で危機的経済状況に陥りました。
 この苦境を打開するために、新経済政策を導入したが、85年には財政赤字は対GDP比12%にのぼり、
紙幣の増刷を行ったことが、再び高いインフレを引き起こす原因になりました。
そのために86年12月の第6回党大会で経済の安定を図るため市場経済の導入と対外全面開放政策を
柱としたドイモイの導入になりました。
 主な内容は国内経済改革では、@歳出の3割を占めていた国家補助金の廃止、A国営企業の独立
採算制を導入、B農業の個人経営を許可、C市場価格の導入、D個人所有権の認可、E不動産市場の
自由化などです。
 対外全面開放では、@貿易の自由化、A外国投資法の制定、B西側からの資本や技術導入の許可
などです。
その結果、90年にはいってインフレが収まり、為替の レートも安定、経済が好転しました。
92年に制定された新憲法(ドイモイ憲法) では、市場経済化、対外開放が明文化され ドイモイが国是で
あることが再確認されました。
特に、93年2月のクリントン政権の対べト ナム経済制裁(エンバーゴ)の全面解除、近隣アジア諸国との
関係強化を図るため95年、ASEAN(東南アジア諸国連合)に正式加盟によってさらに活気づきました。
このような順調な経済成長と国際環境の好転を背景に、ドイモイ初期の軽工業の 中心から、高付加価値
輸出入産業、エネルギー産業、ハイテク産業や農業の近代 化産業が重点になってきています。
 しかし、反面では財政の再建、法律の未整備、徴税システムの不備、インフラ整備の遅れ、国営企業の
赤字、失業率の増加、都市と農村の格差拡大など多くの問題点 を次号から検証して行きます。

[ドイモイ]・・・ドイとはベトナム語で変える。モイは新しくするの意味。刷新・開放等

ベトナム医療交流の提言その後
 前号でベト・ドクちゃんが入院しているベトナム・ツーズー病院と大阪府立母子医療センターとの医療交流を
提言しましたが、5月26日に横山ノック知事と懇談する機会があり、申し入れました。
ところが、私の説明が悪かったのか知事は関西空港りんくうタウンに新設された「救命救急センター」との
交流をすすめました。
枯れ葉剤による奇形出産対策であり救命救急機関とは根本的に違います。
知事に理解されていないのが残念でした。
今後、府環境保健部の専門官と協議していきます。

41 1997年7月号
ベトナム経済の今後の行方A

コネの財政配分は不平等 銀行を信用しない国民性国営企業と徴収対策遅延

 95年10月の国会での政府の経済政策方針で、国営企業の改革、財政の再建、インフレの抑制、
雇用の創出、密輸の防止を最重点にあげ、国家の強いリーダーシップを発揮して経済開発を進めようと
しています。
しかし、山積みする課題を前にベトナム政府は難しい舵取を迫られているのも事実です。
 89年から本格化した財政改革は、歳入面では国営企業の自主性を強化させるため歳入の8割を
賄ってきた納付金を減らし、売上高、利益税、輸出入税、個人所得税などを課しました。
上納金という不透明な徴収から法令による税の徴収で効率的な税収の増大を図りました。
その結果、西側諸国や国際金融機関からの援助や石油収入、土地収入が拡大し増収に貢献してきたが、
依然として国営部門への依存度が高い。
税制は整備されてきたが、税務署の未整備や賄賂によって納税を免れているなど徴税システムの脆弱さや
国民の納税意識の低さから、期待する税収増にはつながっていないのが現状です。
 ベトナム人の貯蓄形態(表1)をみると、 戦乱とインフレによって銀行への信頼性が低く、金の保有が44.0%、
現金が13,7%、銀行預金はわずか7.9%に過ぎません。
したがって、国内での資金調達できる金融市場を育成させなければなりません。
 歳出面では、多くの補助金を90年に廃止し、人員、国防費を削減、91年には国家プロジエクトを除く
公共投資を全面的に凍結するなど徹底した引き締めを行いました。
この結果、財政赤字のGDPに占める比率は90年の8.1%をピークに大幅に縮小しましたが、将来的には、
公共投資の拡大はベトナムの経済発展に欠かせない要素であるためいつまでも凍結とはいきません。
海外借款や国債への依存以外に、新たな財源として外債発行を実現すべく環境整 備を進める必要が
あります。
 国営企業に対する補助金廃止の代わりに、投資開発銀行からの低利融資が実施されていますが、
ここから生じる損失は国家財政で補填されており、その数字は歳出には計上されていません。
国営企業に対する財政負担は今も大きく、実際の貿易赤字は政府が公表する数字を上回るものと見られ、
早急に国営企業の企業連合化への整理と株式化に着手しなければならないでしょう。
さらに、中央と地方の財政配分の関係が大きな問題です。
税金は全て国税で、その66%がホーチミン市とハノイ市から得ており財務省が中央と地方ヘ配分して
います。
その配分額は「コネ」による交渉で決められています。
発言力のある地域が多く の交付金を確保することになり、都市部と農村・山岳部との間に10倍以上の
差がつき貧富の差が生じています。
そのために、地方ではますます過疎化が 進み、ホーチミン市等の都市部に人口が集中、逆に
都市基盤整備が追いつかない状態です。
 このような政治的な交渉に基づく財源 の配分は、地方との格差を広げる原因であり、明確な配分基準を
決めなければ国家の健全な財政運営を難しくしています。

ベトナム一口メモ 美しい民族衣装「アオザイ」

◇女学生の真っ白のアオザイ姿はベトナムの田園風景と実によく調和します。
脇から割れたサイドベンツのドレスが風に舞いまるで天使のよう。
ベトナム戦争時に皆無になり戦後、女学生の制服として復活、白色のアオザイは暗い時代からの脱皮の
象徴として国民の心によみがえった歴史があります。

◇結婚式やパーティ、お正月に着ますが、ホテル等でもよく見られます。
すべて誂えで、金額はポリエステル製で2000円位から、シルクの生地が高級品で5000円からあります。
上半身だけで13箇所の栽寸、体型に合わせてぴったりと縫製するので2s太ると着れないそうです。
だから細身でない着こなせません。
下はパンタロンで生地が薄く下着が透けて見えるのでドッキとします。
着ている女性はいたって平気で、むしろ見られることを当前としているようです。

◇どう考えてもアオザイはベトナムのフアッションとしては垢抜けしすぎています。
チャイナドレスを原型にフランス植民地時代に出来上がったらしく、私の推測ですがフランス人はベトナムの
女性に透けた服を着せて楽しんだのではないかと?。



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