176 2009年1月号
勝海舟が設計

楠葉台場跡を発見! 京街道・珍しい河川沿いと関所併設

 江戸幕府が幕末、京街道の淀川に面した枚方市楠葉中之芝に築いたといわれる「楠葉台場跡」が、枚方市教育委員会の発掘調査によりこのほど確認されました。
 楠葉台場は、幕府の京都防衛責任者であった会津藩主・松平容保が、長州藩や尊王攘夷派の志士が京都にはいることを防ぐ目的で設置を提案、幕臣の勝海舟が設計し慶応元年(1865年) に完成しました。平成9年に京都府立総合資料館で発見された設計図によると、淀川左岸を土塁で囲み大砲3基を備え、230b四方で面積は約3f。今回の調査では、設計図通りに、虎口(こぐち)と言われる入り口の一部や内部の土塁、砲台の台座が見つかりました。
台場は異国船からの襲来に備えて全国各地で築かれましたが、河川沿いは珍しく、しかも京街道を台場に引き込み、関所の役割を果たすなど全国でも例のない遺構とされています。
【写真】党枚方市議団と発見された台場南正面の虎口(こぐち)の石積み付近を視察(12月22日)
15年前に枚方市議会で提案
 私が枚方市議時代の平成5年3 月の日代表質問で、「昨年(平成4年)の11月に地元自治会からもぜひ保全してほしい旨の要望書(465名)が出されました。
文化財ではございませんが、将来にわたって枚方市の歴史と伝統を守る視点から、楠葉台場・関所跡の保全をする考えがないか」と提案。
大塩和男市長(当時)は、「現在、この砲台が中之芝地区のどこに建設されたか、正確な場所を特定することができません。
今後、地元での聞き取り調査等を実施いたしまして、正確な台場跡が特定できれば保存等の方策をとっていきたい」と答弁されました。
このたびの発見で枚方市も積極的に保存を検討されており、現在は、水田になっていますが、幕末の歴史をたどれる貴重な「遺産」であり、文科省や大阪府にも働きかけ、史跡指定など保存・整備に努力していきます。


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