11 1994年8月号
枚方市駅高架下道路

障害者の送迎バスに想う駅前広場はコミュニティ 心の豊かさを感じる空間

 京阪枚方市駅の南側から北側広場を結ぶ高架下道路が8月1日に開通しました。
そのために影響が方々で出ています。
タクシー乗り場の直前に信号が設置されて右折ができにくいとタクシーの運転手から苦情がでていること。
道路幅員はそのままで2車線から3車線にしたので歩道が狭く歩行者が困っていること。
バスが乗り入れたので朝は自家用車が締め出されたこと等。

バス乗降場が 無くなった
 そのなかで送迎バスの話を紹介します。
T福祉施設は開所以来8年間、通所障害者の送迎で大型バス2台を枚方市駅まで毎日運行しておられ
ました。
ところが乗降場が、今回開通する出入り口にあたるのでどうしたものかと私に相談がありました。
 市交通対策課に相談すると「バスやタクシーの公共交通機関でないと専用乗降場は確保できない。
駅から離れた場所であれば検討する」との返事でした。
しかし、100名近い障害者を駅前から遠くまで歩くことは困難を極めます。
駅前しかありません。
そのための駅なのですから…。
 再々度の要望でT交通対策課長は積極的に協力してくださり、その結果、枚方警察署や京阪バスの
配慮で、京阪バス待機バースを乗車10分間に限り提供して頂くようになりました。
開通の日の朝、T課長や枚方警察署交通課長、京阪バス枚方営業所長の見守るなか全員無事故で
バスに乗り込みました。
さわやかな出来事でした。
関係者に深く感謝いたします。

広場のない町は活力がない
 原因は駅前に適当な広場がないためです。
枚方市には京阪線・JR線の鉄道駅が12駅ありますが、バスが乗り入れている駅は4駅しかありません。
それほど狭いのです。
しかも駅の片側しか改札口を作らなかったのは開業のときから駅前開発の発想が違っていたからでしょう。
 西洋の都市は広場を中心に町並みができて行きました。
広場はコミュニティーのシンボルとして活力を生んできました。
その国の革命の震源地の多くは広場からです。
最近の例でも1989年の中国・天安門広場のように善くも悪くも歴史をつくり、文化を生んできました。
 日本では街道を中心にして町が形成されました。
往来が人々のコミュニティーでありましたが、自動車の発達で街道が道路として”通過する道”になると
コミュニティーの作用がなくなりました。
鉄道ターミナルが街道に変わってコミュニティの場にならなければなりません。
少しでも空地があるとビルを建てるよりいつでも誰でも自由につかえる広場があってもいいでしょう。
広場の空間が心の豊かさを与え、やがて市民のシンボルとなることを願って。


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