31 1998年3月号
高校恩師の退官に思う

転機を与えてくれた恩師
生徒を主人公にした授業 やる気を起こさせる校風

 高等学校の恩師・久恒治郎先生が、この3月に退官されるので、ささやかな退官記念パーティを開くことに
なり発起人の依頼を頂き快く引き受けました。
恩師は大阪工大高校をふりだしに、大阪高等工業専門学校、摂南大学、大阪工業大学短期大学部の
建築学部で40数年にわたり建築一筋の教育にあたってこられた。
 入学して初めての担任が久恒先生でした。
開口一番、「私の歌が流行って困っている。それもごめんね、ごめんねと気安く謝るな!」。
教室内は大爆笑。
その歌は当時、流行した奥村チヨの「ごめんね、ジロー」でした。
その後も生徒を主人公にした授業に緊張がほぐれ、多くの同級生は恩師との信頼関係が深くなったと
思います。
私の出身中学校では、先生方と何でも話せる雰囲気は少なく距離があったからとても新鮮に感じました。
 恩師との出会いで、それまでの教師像が崩れ、新しい意識が一変したことを記憶しています。
次に先生は「クラス代表を決めなければならない。例年、なる人がいないので困っている。
希望者は職員室まで来てほしい」と呼びかけられた。
私は先生が困っているなら応えようと職員室のドアを恐る恐る開けました。
恩師の顔を間近にみて、自分の積極的な行動力にびっくり。
私の中学時代は決して積極的なタイプでなく、高校入試に直面して初めて人生は闘争だということに
気がついた位で、どうしたら成長できるのか模索して入学した私にお仕着せの指示でなくやる気を
起こさせる先生方の指導が校風となったと思います。
それからクラス代表は3年間、生徒会議長や新聞部部長をやらせて頂いたのは中学時代では考えられない
ことでした。
1987年(昭和62年)、枚方市民の方々から 市会選挙出馬の強い勧めを頂いたのも高校時代の経験が
起因したのではないかと思っています。
恩師との出会いは私にとって大きな転機であった事は言うまでも有りません。
また、2、3年生の担任であった堀秀康先生も忘れ得ぬ恩師です。
堀先生は昨年退官されましたが、恩師の先生方が退官される時の早さを感じつつ、今までの感謝と
これからのご健康を心よりお祈りします。(世話人の依頼で退官記念誌に寄稿予定)


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