44 2000年2月号
ドキュメント

大阪知事候補選び 自民分裂劇の主役は中馬氏

 12月21日は横山ノック大阪府知事が強制わいせつ罪で刑事起訴され2期目約8カ月で辞任した日。
翌日からは知事候補選ぴでナニワは混迷の街にーー。
「知事選の前哨戦」をご紹介します。
 辞任翌日の22日、大阪府選出の共産党を除く会派の国会議員が国会で知事候補の協議。
巨見非1殻田会議員は対象外にする」ことを全員一致で申し合わせました。
その頃、堺屋太一氏や中坊公平氏の名前が浮上。
民主党の岩国哲人氏が独自で出馬表明したり、自民党の中山正暉氏を擁立する動きも表面化。
 26日には秋山関経連会長や前田連合大阪会長らが協議を行い、「女性候補の擁立や政党でなく民間
主導」で行う事を決議。
28日に、3人の女性を含め複数の候補者の中から太田房江氏の擁立で自民、自由、公明、民主で
動き出し、同日に関係者に連絡、中馬弘毅自民党大阪府連会長には野中広務自民党幹事長代理が伝達。
 朝日新聞が翌29日の朝刊で太田擁立をスクープ。
そのため予定を繰り上げ秋山関経連会長、前田連合大阪会長が太田氏擁立の記者会見。
この日より設置した確認団体の21世紀大阪がんぱろう会で、実質上の選挙戦に突入。
ところが、中馬氏が太田擁立を府連幹部に伝えたところ「人選の過程が不明朗」と異論続出。
 現場の大阪府連が主導権をとれず府連会長である中馬氏の責任問題が浮上。
30日に緊急の自民府議団総会が開催され固氏が厳しく糾弾されました。
意外にも「責任をとって本人が出馬せよ」の声が上がり、同氏は拒否せず出馬の意向を示したことから
「中馬擁立」で走りだしました。この時点で太田擁立の一角が崩れました。
その努いは1月3日の野中氏の太田擁立の説得にも応じないほど強いものでした。
4日の府連選対会議で正式に中馬氏擁立を決定しましたが、7日になって小渕首相の説得で中馬氏は
出馬を取りやめたことから大阪府達は怒り心頭、府連会長を解任しました。
 その後、大阪府連が平岡龍人氏を擁立し三つ巴の選挙になったのは皆様もこ承知のとおりです。
自民支部組織や自民府議団でも長田義明氏ら数名の府議が太田氏の擁立て動き自民は股裂き状態に。
 12月30日の自民府議団総会の前に開かれた大阪府選出の自自公トップ会議で、中馬氏は「太田氏擁立で
府連を説得する」と強く表明しながら、数時間後の同氏の豹変に関係者は唖然!。
元々、中馬氏自身が知事候補に魅力があり積極的な「根回し」をしなかったのではないかとの見方もあり、
同氏の優柔不断な態度が今回の混迷の根源といえるのではないでしょうか。


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