64 2002年6月号 | ||||
一筆啓上ワイド版・番外編
100号の新聞発行と新聞配達 |
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飛耳長目も今月で100号。 自ら新聞を発行するとは思いもしませんでした。 新聞といえば、幼い頃の思い出があります。
くるので最後は辛いのも忘れています。 毎月入れ替わりがあり配達先と順路を覚えるのが大変。 最後の方になると残りの配達先より新聞が多い時があります。 そうなればもう一度、最初から入れ忘れた家を探さなければなりません。 そのため、最後の家の人からよく怒られました。 そのような時は玄関戸の隙間に音がしないように挟み込むのだが家の中から「遅いぞー」と怒鳴り声が します。 ある時、恐ろしい形相で家の前で待ち構えているではありませんか。 これはヤバイぞ。 「また遅い。なぜだ!」、「はい、すみません。実は大ニュースがあったそうです。」 その日は、1961年(昭和36年)4月12日。 夕刊をわたすと一面トップに「ソ連が世界初の宇宙飛行に成功」の記事。 旧ソ連が世界初の人工衛星ボストーク1号の打ち上げに成功。 世界初の宇宙飛行士となった27歳のガガーリン少佐が、地球を1周し1時間48分の軌道飛行ののち無事に 帰還、「地球は青かった」という簡潔で印象的な名言を残した大ニュースでした。 そのため、配達店に新聞の到着が遅れたためでした。 「これはおめでたい。許してやる」と言われ、それからは、遅くなっても「ごくろうさん」といってくれるように なりました。 だからガガーリン少佐のことが私にとって忘れられない大事件です。
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