115 2009年8月号
民主の「こども手当」

児童手当と全く同じ「手当」
月2.6万円は実現可能? 政策実現は財源確保

現在支給されている児童手当と民主党が衆院選マニフェストに掲げた中学校修了まで毎月2万6000円支給する「こども手当」はどこが違うのでしょう。

 ○…児童手当誕生秘話…○
 児童手当の誕生は、昭和42年12月の千葉県市川市議会で、公明党市議が提案したことから、昭和43年4月に全国で初めて市川市で児童手当制度(18歳未満の第4子から1000円支給)が出来ました。
 これがきっかけとなり、全国各地で公明党の地方議員が児童手当制度創設とりあげ、昭和44年12月には、東京都議会が実施するなど、昭和45年には240の自治体で児童手当制度が導入されるようになりました。
 国会でも、昭和43年に公明党が他党に先駆けて児童手当法案を提出、公明党の主張が実り、昭和47年1月から国の制度として実現しました。当時は、義務教育修了までの第3子以降に3000円支給からスタートしました。
 政府は、財政負担の増大を理由に児童手当の縮小、廃止を検討するなかで、公明党は存続と拡充を訴え続け、昭和50年には支給額を5000円に拡大。昭和61年には支給対象を第2子(2500円)までに拡大、但し小学校入学前まで期間短縮。平成4年には、支給対象を第1子まで拡大し、第1・2子が5000円、3子が1万円支給に、但し3歳未満に短縮。
 平成11年に公明党が連立政権に参画して翌年の平成12年からは、小学校入学前までに拡大。平成16年には小学3年修了までに拡大。平成18年に小学6年修了まで拡大し、この間に2度にわたり所得制限を緩和してきました。支給対象児童数も平成7年227万人から平成18年1299万人に広がっています。
 公明党にとって児童手当の拡充は、財源確保との粘り強い戦いの歴史でもありました。
 民主党の「こども手当」は、児童手当と全く同じです。名称を変えただけにすぎません。しかし、民主党は平成12年から4度にわたる児童手当拡充の法案にバラマキだと反対してきました。また、2年前の17年参院選マニフェストでは、1万6000円でしたが、今回は2万6000円のところ1年目は1万3000円と修正しました。 支給額が大きいほど国民の皆さんからの評価は高いのは当たり前です。

○…あいまいな「こども手当」…○
 民主案の「こども手当」は、5兆3000億円の財源が必要です。その財源に、配偶者控除(6000億円)、扶養控除(8000億円)を廃止するとしていますが、子供のいない専業主婦世帯や高校・大学生を持つ家庭では増税になります。それでも財源は1兆4000億円。まだ3兆9000億円が足りません。埋蔵金や削減で当てると言われますが、毎年一般会計80兆円のうち5.3兆円を捻出するのは困難です。
選挙受けを狙った政策といわれても仕方ないでしょう。
 政権担当に重要なのは、財源の裏付けのある実現可能な政策を打ち出せるかにあります。 公明党は、実現可能な政策として、さらに支給対象を中学3年生修了までにし、次の段階で、支給額は第1・2子を1万円、第3子を2万円に拡充し、親の所得制限を緩和することを主張しています。これまでの地道な児童手当の拡充に尽力してきたからこそ言えることだと考えます。 



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