「科学読物研究」のこれから

                             2004,11,6

 

これからの「科学読物研究」の研究の方向として

1. 科学読み物の歴史を明らかにする

   2. 科学読み物を書く

   3. 子どもたちの読み物の授業記録を集める     

提案したところ,板倉聖宣先生から次のような話がありました。

 

〔板倉〕

 0がいるのです。

 〈科学読み物〉というものは日本の理科教育では,あまり読んではいけないものなのです。
〈理科では本を読んだ知識を増やしてはいけない
,理科では実験観察をする〉というのが日本
の理科教育の伝統なんです。だから科学読み物は異端分子なのです。科学教育の中での科学
読み物というのはきわめてあやふやな立場なのです。

堀七郎さんと言う人は文部省派の大家でしたが科学読み物も書いたのです。あの人の理科
教育の仕事はたいしたことはないけれど科学読み物はいいものを書いたのです。

激しすぎるかもしれないけれど〈理科教育の目的は科学読み物を読めるようにすること〉と
してもいいかも知れない。「科学読物研究」の目的も同じです。

よく,理科では「実験観察をしなさい」といいます。

 でも,例えば萌出浩(青森県)さんがいろいろな実験をやります。萌出さんだって自分一人の
考えだけではしません。本を読みます。本を読むから
,どんどん発展するのです。本を読むと
いろいろ知識が増えます。萌出さんみたいな人はさらにいろいろ工夫します。だから本を読む
ということはすごく大事なのです。

 もしも,子どもたちが,科学読み物を読むことが好きになり読み方もそれなりにわかって,小学
,中学校を終えると,いつか,いろんな科学読み物を読むような子どもが出来ます。それが,理科
教育の目標なのです。

 数学の先生が〈数学の読み物を読んだことがない〉という人がいます。それはおかしいです。
数学が好きなら数学の科学読み物を読みなさいと言いたい。

 では,科学読み物が読めるとはどういうことなのか。

松崎重広(愛知県)さんが授業で使える読み物を書いています。たくさんの読み物が授業で使え
るようにすることはいいことです。しかし
,たとえ授業で使えるものが書けなくても,子どもが
分で科学読み物を読める能力をつけたい。

自分で読めるような能力とはどういうことなのか。

それは,今まで読んだ科学読み物が楽しかったという体験を増やすことです。そういう体験を
増やすと同時に〈科学読み物にはだめな本もあるよ〉ということも教える。

科学読み物は〈読まず嫌い〉ということもあるけれども,たいがいの人は〈読んで嫌い〉とい
うこともあるのです。おしつけたりするからです。

ですから,子どもたちは〈読み物でないもの〉には安心して読むのです。それは図鑑です。図
鑑というのは全然押しつけません。僕は〈図鑑の楽しみ方〉という本を書いてみたいと思うほど
です。

 科学の本にはいい本もあるし悪い本もあるのです。一般には〈世に出ているすべての科学読物
は良い〉ということにしている。そうしないと平和的にならないからなのでしょう。だけれども
,
実際にはそういうことがわからないと,説明文でもよい科学読み物にされてしまう。

今でも主流の文部省派の教育では,自分で実験して観察することが理科の精神なのです。

だから,国語で科学読み物をやるならいいでしょう。いわゆる文化系に進んだ人でも科学読み物
を読む人は結構いるのです。竹内三郎
(仮説社)さんなどはどちらかいうと科学読み物が好きなので
す。

 将来,科学読み物が読めるような子どもに育てるには  「科学読み物の文章もいいのがあるから
読んでごらん」と勧めることもいいかもしれない。

 文学の場合はほとんど書く人はプロなんです。初めはアマチュアが書いてもすぐにプロになっ
てしまう。ところが
,科学読み物はプロという人はほとんどいない。ちょっと  理科が好きだとか
,
文章を書いたとかいう人です。最近は,定年退職した人が自分でも書けると思ってちょつと書く
わけです。

 そうしてプロになる人もいるかもしれないけれど,文学を書く人よりは少ないです。科学読み物
にプロがいるのかどうかわかりません。

大人の文学を書く人がたまに児童文学を書きます。それはすぐれていることが多いです。文学の
人は文章を大事にしているから文章がうまいのです。科学読み物の場合は大人向きの文章だって
,
プロはほとんどいないわけです。

 それで,すでに出ている科学読み物を読むということにはなかなかならない。児童文学にはかな
り良い本があるかも知れないですが科学読み物では非常に少ない。だから
,初めから理科好き,科学
好き
,実験好きという子どもなら今の科学読み物も読むかも知れないけれど,そうでない子どもは読
まない。

また,世の中が変化して,読書サークルもどんどん衰退です。子どもの読み物サークルでは,最近は
もの作りをやったりしている。読み物だけでは子どもが集まらない。だから理科的なもの作りに近
づいている。

 子どもたちは科学読み物が好きなのです。今は,子どもの需要に追いついてない。今までの水準で,
科学読み物をあれが良いとか言っていると
,すごく甘くなってしまう。

小学生が読んで喜ばれる科学読み物,中学生が読んで喜ばれる科学読み物を多く紹介したい。そし
,子どもたちが楽しんで科学読み物を読む目標を持たせてほしい。

 

 

討論「科学読み物と子ども」

 

井藤 矢玉四郎という人の本はすばらしい本で,絵を見せなくてもいいんです。1年生,2年生の
本は絵本が多いですが
,絵本はめんどうです。

ところが矢玉四郎の本は絵がなくても子どもがイメージできるのです。大矢真一さんのお話
も同じなのです。印刷しなくても読める。印刷しなくても読める科学読み物というのはあまり
ないという感じです。

板倉 逆に,学校の先生がいけないね。理科の先生なら実験は楽しいけれど読み物は楽しくない
と思っている。仮説実験授業の子どもの感想では「読み物が楽しい」というのはたくさん出てく
る。

〈ジャガイモの花と実〉なんて全部読むと2時間はかかる。吉村七郎(埼玉県)さんは,2時間読む
だけの授業をした。それで子どもたち喜んだね。普通の理科の先生はそういうことしない。

   小学校の先生は国語もやっているし読んでもいいのだけれど,中学高校の理科の先生はいろ
んなことがあるしちょっとした話ですぐにやめてしまう。

松崎 ぼくらは授業書をたくさんやっているので,読み物に期待感はあるけど,授業書をしてない
人には
,ますます期待感はなくなってしまうのではないか。 

板倉 中学校高校の先生は,読み物をちゃんと読ませないし,生徒も読んでくれない。

松崎 読み物の後ろに子どもの感想が出ていると,先生もその感想を見てやってみようかなとな
るのです。だから
,記録でなくてもいいけど,感想が一つでも出ていると全然かわってくると思
うのです。

   今ぼくはたまたま〈ハガキくぐり抜けの算数〉というのを作っています。あれをすごく
多くの人がやってくれるのは
,結果がおもしろいということもあるのですけど,それ以上にちょっ
と子どもの感想を見ておもしろそうだと思うからやる気になるし
,違うものがないかということ
になると思う。

ぼくは,科学読み物で授業にかけられるものをいくつか,井藤さんが言ったように,各学年に一つ
か二つあったら
,それで科学読み物に対する期待感が違ってくると思うのです。

板倉 まあ,あるものはそれを広げていく。

松崎 だから,創作というのともう一つ復刻ということも大事では。

板倉 ガリ本で作っているうちは盗作というのは気にしなくていいのだけれど,出版ということ
になればこれは実験的にやってみないと。

松崎 子どもが読んでおもしろいというお話があるのならば,感想を一つつけて,それらを集めて
いくというのは大事だと思う。

板倉 大矢真一さんだって,初めは数学の読み物を先生か

らもらっていたんです。小学校の時受け持ちの先生からもらっている。それで,読み物が好きにな
ったのです。

落合 科学読み物の読み方て自分の経験からして,一人で読んでいるとどこかで分からなくなってし
まうところが出てくることもある。そこで
,いやになったこともあって。子どもなんかも授業でやる
ときは教えてあげられるけど
,そういうこともあるのです。

  「分からなかったところは読み飛ばしてもいいよ」と教えてあげることもいいのでは。

板倉 独学が大変なのは,分からなくなったときにどうしようもないことです。いい加減な人がいい。
  全部分からないと気が済まない人は先に進めない。学校というところがいいのは
,分からなくても
  ちょっとずつ進む。あわてなくていい。

由良 大学などで,読書会とかである本を読むことがありますね。そういう時っていうのは,僕は経験
ないですけど
,ひたすら読むのですか。

板倉 ぼくは,いくつか経験があって,読書会というのは成功したことがない。おそらく大昔なら,本が
一冊しかない
,それをだれかが読んでまわりに伝えていく,そうしてうまくいっていたのです。読書会
というのは
,「今度までにあの本読んできて感想言いましょう」なんてしたら,ほとんど絶望的です。

由良 どういう形になるのですか。

板倉 読んだ人がその本について話すのはいいですよ。読んでくるつもりではあったが読んでないで
しょ。すると読んでいないが読んだごとくしなくてならない。読んだことにして発表する。だから
,
んで来るなよと言っていた。

 仮説実験授業の場合は予習しないからすごく楽でしょ。予習したらだめだから。〈今度みんな
が集まって読み合おうね〉というならうまくいくと思う。

由良 学校で『科学の発明発見物語』(とうほう)を読んだので40冊買ったのです。選択理科で読む授
業をやってみようと思うのですが
,やり方として何かアドバイスありますか。

板倉 どこが問題なのかすぐにわかるね。文章が悪いと生徒はすぐに読まないし,「先生がこんな本
が読めないか」と言ってはだめで
,さっと読んでしまう。

   宮城教育大の永田英治さんが大学の授業で読んでそれでよかったという報告がありました。大
学の先生は今だって教科書を読んでいたり
,これから本にする論文を読んでいたりします。

大学の講義というのは,僕は1,2時間出て,だいたいこの先生の種本はなんだと見つけて,その本をいく
つか読むと
,講義よりもはるかによくわかった。

由良 どこで教わったか分からないですが,学校の勉強というのは全部覚えようとしても無理なので,
ろんな教科を勉強した上で
,目的は「どの本を見たら答えがあるか」「だれに聞いたら答えを教えてくれ
そうだ」ということがわかればいいということだそうです。

板倉先生が「〈科学読み物を読めるようになる〉というのが理科教育の目的だ」と言われるが,科学に
限らず
,いろんな社会の問題についても同じだと思うのです。

板倉 必要に応じて,いろんな情報が引き出せるということでしょう。

由良 そういうことがある意味で大きなねらいでもあるわけです。ただ,今はつまらない本ばかりが多
いです。子どもたちに「いい本があるよ」と教えてあげられる機会が今の学校教育ではないのです。

板倉 大学ぐらい出た人なら, ブルーバックスなんかは種類がたくさんあるから読むのかも知れないで
す。でも
,あれも読むのは大変です。悪い本もたくさんある。ただ,悪い本があってもめげないことが
あります。
1冊良い本があれば10冊悪い本があってもめげないです。

松崎 本全部を読もうと思うからです。〈一部読めばいい〉と思えるまでああいうのは大変です。

板倉 この人は本を読みつけているかどうか,簡単にチェックする方法があるのです。本を読みつけて
いない人は雑誌まで本というのです。太郎次郎社で「ひと」という雑誌を出したときに
,ほとんどのお
かあさんは「ひと」という本を読んでいるのです。〈端から端まで読まないと
,読んだことにならない〉
と言うのです。

 でも,その時に,初めて「ひと」という本を〈端から端まで読んだ〉という人がいたのです。だから
「ひと」という本を読むまで
,本は買って読まないという人が非常に多かったのです。だから自分が
本を読めるということにすごく驚いていた。

そこで,「ああいうのは雑誌なので,読みたい所だけ読めばいいんだよ」と説明したのです。

 お母さん方が〈自分のために本を買う〉ということはあまりないのです。女性は図書館とかで借り
て読む。子どものための本は買うけど自分のは買わない。だから〈雑誌というのは全部読まなくては
〉と考えている。本もそうなのです。

ぼくなどは今は勝海舟のことを調べ出したけれど,まいにち10冊は買います。全部は読めないです。
これも勝海舟伝
,これも勝海舟伝とかあります。どこか違うことが書いてないか,そこだけさがして読
みます。すると
15分とかからないです。

由良 だから〈本は買うもので読むものではない〉のです。〈積ん読〉です。そういうことを普通の
人は教わらないのです。

   わたしは,最近ベストセラーというのはすぐに買ってしまいます。ベストセラーというのはすぐ
に終わってしまうことが条件なので薄いのだそうです。やはり一冊読んだという達成感が普通の人に
受けるのだそうです。すると立っている間に読んでしまうのです。値段はいいが内容がないのです。

板倉 昔と違って子ども向きの読み物,特に科学ものは,薄い。昔は戦前から戦後の子ども向きの本は厚
くて
, 子ども時代の一生の宝物だった。で,だいたいそういう本は1冊しか買ってもらえないのだから大
事にした。しかし
,今は図書館が出来たから本はいらなくて,ときどき短いのを買うのではないか。

 

 

        以上文責は西村にあります。

        ここの文章は,研究会外では引用しないで下さい。

 

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