2005,1,28「授業書開発講座」記録
 
  「 ウェゲナーの確信 〈大陸は移動したにちがいない〉」をもとに
                    
                                        
   地球の表面は海と陸地でできています。
   陸地には,アジア大陸,アフリカ大陸,などという大き
  な陸地もあります。太平洋,大西洋などの大洋もあり
  ます。
   地球儀を見てみましょう。
 
   1910年のことです。
  ドイツの天文・気象学者であったウェゲナーは大西
  洋中心の下の地図を見て「うーん」とうなりました。  (地図)
 
  南アメリカ大陸の東海岸とアフリカ大陸の西海岸の海
  岸線がよくにてるなー」
  「これはぐうぜんかな」
  「でも,こうして合わせてみるとぴったり合うぞ」   (地図)
  「ほら,でこぼこがこんなにも合うではないか」
  「これは,この二つの大陸がひっついていたにちがいない」
 
  ウェゲナーはこのような予想を立てました。
 
板倉 「ひっついていたかも知れない」だね。予想でしょ。はじめから「ちがい
   ない」と言えばあとは話がなくなってしまう。
 

 
 それから,ウェゲナーはその証拠をさがし出しました。
 あれっ。なんと,両方の大陸の地層がつながっているではないか (地図)
 
板倉 これは,普通の人には意味がわからない
  「下の地層を見て下さい」とね,地層には花崗岩とか堆積岩とか,大きな特徴 
  がある」とちょっと入れたい。すると納得できるでしょ。
    ウェゲナーは「他にも無いだろうか」と予想を立てたのだから,「もと 
  もと一つだったのが動いたということを証拠立てるものが他にもないだろ 
  うかと考えるようになりました」と。そして,ある日 両方の大陸の地層に 
  目をつけました。
「大陸の地層がつながっていました」といきなり,答えが出ているでしょ。
すると ウェゲナーの気持ちにならないのです。〈地層がもしかしたらにて
いるかも知れないね〉と考えたのね。すると,くっついたところが,片方は
花崗岩でした。向き合っているところを見ると花崗岩だ,もう片一方も花崗
岩だ。それでまた堆積岩だったところの向かい合っているところは堆積
岩だというような形にすると自分がウェゲナーになったような気持ちになっ
てうれしくなるでしょ。そういうのに時間を取るとこのへんの話がうまくいく。
「さらに同じではないか」
「少し自信を強めたウェゲナーは欲を出して … 」と。
 ここで,子どもたちが自分で,〈つながっていた〉という証拠を立てるには
どういうものを立てればいいか気になるでしょ。初めから地層の問題を
出す前に,そういう話をしてもいいかもしれない。
「二つひっついていたかもしれないな」
「ほかにもそういうことがないだろうか」
 と思って探すようになりました。
もし,二つに分かれたとしたら,そう簡単に変わるものでないもの,例えば地
質があるなと。というふうにして,〈地質はうまくいった〉と,それで「みなさ
んだったらどういうものが出てくるといいと思いますか」というような形に
なるといいね。すると,これ話がうまくいくよ。そういう事例は,たくさん出す
必要はないから,三つか四つあれば十分ですからね。
吉村 この辺で,子どもに「同じになっていると思いましたか」という質問で,問
    いかけといて,正しい結果を出すという質問形式を入れるとどうか。
板倉 〈質問〉という言葉を入れると良いかどうかわからないが下手すると,学
   校の授業を思い出させることになる。どっちがいいか。読み物としては「あ
   なたはどう思いますか」という文章でおしまいにする。すると,思わなく
   ってもいいわけだ。授業書作りとしては「どう思いますか」と書き出せば
   いいのだけれど,読み物としてはそういうふうに書き出さない方がいい。
岸  ウェゲナーさんが「二つの大陸はひっついているにちがいない」というよ
   り「そんなばかなことないよな」という出だしでないと,初めから確信を持
   っている書き方になっている。
板倉 だから, その「確信」はやめたほうがいい。
  「うまくいくかもしれない」というぐらいのことを考えていないと先に行か
   ないよ。
岸  それで,一つ見つけたら芋づる式に…いく。
板倉 奥さんはバカにするかも知れないが…奥さんがなんと言うかと気になって
   仕方がなかったからとか。〈「その証拠があるのかよ」と他の科学者から言
    われました〉とかいうような話にしても良いし,そうか,証拠だな, 証拠
    になるものはなんだ。地図の向かい合ったところには鳥は同じようにいる
   か,同じ木があるかとか,木は長い間にはすぐに変わってしまうのでいけな
   いなとか,鳥も調べてみたり木も調べてみたり,木は長い間に進化がちがう
   し何か違ってくるかも知れないとか,鳥はだめか,今の気候に影響しちゃう
   なと,そして,そう簡単に動かないものとして地質にいくのですね。地質に 
  目をつけるということが大事なんです。
 で,「ほかにないのか」というので,昔のものなら化石があるなとか似た
 ものとはないかとして地磁気にいくでしょ。地磁気というのは磁石の化石 だから。
 この辺で少し紙面をたくさん使った方がいい。これは,今までの西村さ
 んの書き物より格段に良くなっています。これだったらいけますよ。
   「ほかにはなにか証拠はないかな」「昔生きていたもので」
   「おや,何かメソサウルスという恐竜に化石がでてくるぞ」と。
   だから,ここで早く答えを出しすぎちゃっている。大昔の化石のメソサウ
   ルスにいくまでに時間がかかっているわけだよ。
 「化石ならいいかもしれない」とね
ここがこの話の山だね。
 大陸の海外線が似ているという話は,なかば冗談みたいな話で,それく
らい だったらたくさんの人が気が付いてるかもしれないわけだよ。一流
の科学 者たる者はその証拠を探すわけだよ。一流の探偵と同じように。
「一つに くっついていたにちがいない」という強い調子がいけないのは,
科学者の 場合は,確実に自分の予想が当たっているという仮説と,はず
れるという両 方の仮説と両方ともやるのです。つまり,はずれたらはずれ
たでいいので すよ。それもうれしいものですよ。Aになってもいい,非Aに
なってもい いという研究が一番楽しいのです。つまり,Aにならなかったら
研究が無 駄になるという研究をする人がいるんだよ。世の中の人はみ
んな落胆する 人がいるけど,これは違うよ。非Aの証拠があったらこれもう
れしいよ。
「みなさん,わたしが地質を調べてみたら,ぜんぜん違いました」
となるでしょ。
だから,そういえば,1ページに「下の地図を見て,う〜んとうなりました」
とあるが,ここでうなってはいけないのですよ。「えっ! えっ!」という具 合で
すね。「もしかしたら,」という形で受けて,
「でも,科学者というのはそこであきらめないものです」と,
「両方がくっついていたというそういう証拠があるだろうか」
「そういう証拠が見つかったらシメタものだなー」
「だけどね そういう証拠がないかもしれない」
「それもまた,ぼくとしてはうれしいことだなー」
そうやって科学者は考えるのです。だから科学者は調べる気になるの
です。〈どっちに転んでもシメタ〉の場合に科学者は一番熱心なんです。
橋本 その〈どっちに転んでもシメタ〉の気分も書いておいたらいい。
板倉 そう。だから,奥さんに言ったら「うれしいね」とかなるでしょ。奥さん
   と言ったら,特定されるからそんな事実は無いということになるでしょ。
奥さんでなくていいでしょ。友達にね。言うにきまってるんだよ。大学の事務員の人に
「こう考えたのだけれど,君どう思う?」
「おっ,先生,おもしろいこと考えるね」と。
吉村 これは時間的にはかなり長い研究なのかどうか。何年かかかってここまで
   調べたのですか。
板倉 そうですね。彼は古気候学でしょ。昔の気象が気になったリさ。
吉村 あまりにもすらすらと結論にいった感じですね。
西村 これはまだ最初の段階なのですが。
板倉 だから,そこをうんとやると後ろの方はどんどんいらなくなっちゃう。こ
   の数倍の字数にする。ここがわかるようにくわしく。
   地層というものが変わらないものだということ,大陸が移動するという
ことは地層が動くんじゃないからね。その後の地震で変わったりするんだけれど。
 





 
  「ほかにはなにか証拠はないかな」
  「昔,生きていた生物の化石はどうか」
  「おや,メソサウルスという恐竜の化石が両方の大陸から出てくるぞ」
  「それから,なになに,ヨーロッパ大陸にいるガーデンスネイルという
   みみずが,北アメリカ大陸にもいると書いてあるではないか」
  「これは,北アメリカ大陸もヨーロッパ大陸とつながっていた証拠だ」
 
板倉 〈ほかにも何か証拠がないかな〉と言ったときに,メソサウルス見つけて
   いい気になって,〈ほかのものも探してみよう〉とうれしくなって,そうい
   うときの状況ってわかる? ぼくはよくわかるんだよ。寝られなくなっち
   ゃう。それで,次々と証拠をさがしにかかる。だいたい,本が読めなくなっ
   ちゃう。かっかして。「これ,いい線いったなー」なんて。
それで,ある部分は次々と連鎖反応的に行くんです。ウェゲナーの海
岸線が似ているという話から,次の段階,地質に行くまでには,時間がある
はずなんです。それから,地質が似てればすぐに化石を思いつくでしょ。彼
みたいな人ならすぐに思いつく。「化石が似てたらおもしろいなー」と。で,
〈化石も似ているではないか〉と。人によったら「たまたま,おまえね,地層
が似ていたからと言って,思い上がってはいけないよ。」と言う人もいるわけだ。
   で,一つ見つかれば,これは休まない。科学者の研究には,寝て待つ段
階と連鎖反応的にバーと行く場合とある。連鎖反応的な研究しかできない
人もいるし,寝て待つ研究しかできない人もいる。寝て待って見つかったらあ
とはワーといくんです。そうすれば,研究のテンポが上がるんです。
日本の科学者は,寝て待つこともしないし,ワーといくこともしないのです。ワ
ーとやつたら成果は上がっちゃう。
ですから,ここのところをくわしくしてよ。
   「これはつながっていた証拠だ」といっぺんにいかなくて,少しずつ自信を
   つけていくところだね。〈これなら,〇〇さんも説得できる〉〈この前はお
   れをばかにした〇〇さんも説得できる〉とね。
岸 ここの話で「これは」と言うのは,この着想のところ以外はどこですか。
途中で「復活」と書いてあるけど。
板倉 まあいきましょう。
 


 
  「植物の化石はどうかな」
  「約1億年前の化石はどうだろう」
   「シダやイチョウなどの化石が出てこないかな」
 
板倉 こんなとこで,こんなのんびりしてはいけない。
もう,「次の日の朝,すっとんで大学に行きました」とかさ。そうなるんですよ。自
分のものとしてそういう標本があれば別ですが。
井藤 こういうことって,史実に残っていなくても書いていいの?
板倉 あのね,史実はあるにきまってるの。だから,奥さんにしてはいけない。特
   定の人は具体的な事実でしょ。これは日記などではないかも知れないでし
   ょ。わからないでしょ。だけど,発明発見するときはほとんど法則的なの 
  だよ。法則的だからあるに決まってるのですよ。それは,うそを教えたこ
   とにならないでしょ。
    小説はうそをついて本当のことを書くという意味で,つまり,こういうのは文
学作品でしょ。発明発見物語は文学作品ですからね。子どもの気分を高揚さ
せる。ありっこないこと書いちゃダメだけど。だれかが発見したときはチャチャを
入れるやつはいるに決まってるのだよ。だから,支持してくれる心温かい人もい
てくれるんだよ。「それ,おもしろいじゃないか」「おまえ,誇大妄想だな」と言うの
があって。子どもたちはそういう場面にどこかで遭遇するのですよ。そのことの
演習問題をやってるわけだよ。だから,ほとんど必然的なの。
    例えば,ぼくは古代ギリシャの原子論の発見物語で授業書を作るわけだよ。
授業書で古代ギリシャと同じような人がたくさんいるのですよ。だから,ぼく以前
の科学史家は,史実に残ってないものは研究しないのだよ。ぼくは,仮説を立てて,
その仮説は一般的に通用すると思えば,子どもの感想で実験する。それで,こっち
のクラス,あっちのクラスで同じようなことが起これば,〈人間というのはそういうふ
うに考えるものだ〉と言える。
    科学者は,〈本当に何があったか〉ではなくて,〈人間はどう考えるものか〉と
いうことを知りたいのです。ガリレオがどう考えたか知りたいわけではないのです。
ガリレオを一つのサンプルとして人間はどう考えるかでしょ。すべての人がガリレ
オと同じように考えるのでなくて,途中まではガリレオだからこそ考えたのです。途
中からは,人間というのはそういうものだから,ガリレオもその法則に従った考えた
のです。ウェゲナーもすぐれた科学者だから,〈すぐれた科学者として素質のある人
だったらこう考えるものだ〉として物語をつくるのです。そうすると実際に後でそうい
う史実が見つかるようになるのです。そうすれば勝ちでしょ。
松崎 他の人が書くと,とんでもないことを書くことがありますか。
板倉 そうだよ。つまんないことで,科学者の感動的物語として,親孝行したとか, 
  平気でお母さん殺したり,お父さん殺したりで,おとうさんがいなくて貧し 
  いので親孝行しました〉とか。それで,発明発見の中味の話は何もなかっ 
  たとかなっている。最後に〈その人がこういう大発見しました〉とね。そ
   ういう無関係なところで感動させますよね。
松崎 物語を書くときもそういう仮説を立てて書く,ですか。
板倉 仮説を立てて書けば読者がついてくるでしょ。
 






 
 「あったぞ。あったぞ」
 「グロッソプリテスというシダの化石が,二つの大陸から出ていると書
  いてあるぞ」
 「しかも,ちゃんとつながっているではないか」   (図)
 「これはもう,二つの大陸が一つだったとしかいいようがないじゃないか」
 これらの証拠からウェゲナーは,一つの大陸が二つに離れたに違いないと
 確信しました。
 
板倉 科学者であれば「違いないといっても差し支えないではないか」となるね。
つまり,科学者だと学会で発表することを考えるの。そしたら仮説の段階では発表
できません。発表してもいいだろうと考えるのだったら,一段落上がるわけです。
 







 
 そこで,ウェゲナーはドイツ地質学協会の講演会で〈大陸と海洋について〉
 と題して話をしました。1912年でした。みんなは興味深く聞いてくれま
 した。
 「うん,なかなかおもしろいではないか」
 「そういえば,昔もそんなこと言っていた学者がいたな」
 と,みんなは興味しんしんでした。
  そこでウェゲナーは,このことを「大陸と海洋の起源」というドイツ語
 の本にまとめました。1915年のことでした。
 
板倉 ここで文章が下手なのは「みんなは興味深く聞いてくれました」とあるね,
   こういうのは先に書いてはいけないのだよ。つまり,結論でしょ。「うん,な
   かなかおもしろいではないか」と,そういう会話文があればその方がいい
   のだよ。その方が生き生きとする。もし「みんなが興味深く聞いてくれま
   した」というのなら,この文は最後に回す。いらないですね。「おもしろい
   じゃないか」というのど「興味深く聞いてくれました」というのはほとん 
   ど同意語でしょ。
もう少し「うーん」「面白いな」と,感動の仕方を子どもの感想文から学ん
で下さい。
ここは二重括弧。〈『大陸と海洋の起源』と言うドイツ語の本〉です。
吉村 「なにばかなこと言ってるの」という人もいたかもしれない。
板倉 少数はいたかもしれないし,これだけ証拠があったら,もうたいがいの物理
  学者は認めるけど,だけど,「ばかな,そんな動いた証拠があるか」とか「動 
  くことあるか」と,今度はそういうのがいるわけです。
    だから,はずれる時はどこでそういう抵抗勢力を登場させるかです。〈よくよ
   く考えてみると「地面が動く?」「ばかなこというなよ」〉となるわけでしょ。
    おそらく発表したときは,発表者に引きずられて一回は共感してしまう。
   反対勢力はそれから形成されるのです。〈あいつは誇大妄想教〉だという
   わけです。それで,「だいたい地面が動く筈はないではないか」「それはそ
   うだな」と,こんどは反対勢力との問題になる。
 「ドイツ語の本にまとめました」とあるけど,日本人が書いたときは
「日本語の本に書きました」というのは特別なことです。科学者は日本
語で発表することはほとんどないから。
吉村 「昔はそんなことを言っていた学者がいた」というのは?
板倉 そんなのはすぐに思いつくかね。学者はいたかね。〈おれも,そんなこと思
   ったな〉,しかし〈あいつは証拠を集めた〉と。〈あいつは証拠集めたので
   おれより上だ〉と思う人がいてもいいけど,これはわりあい思いつく人は
   いるでしょ。
   「言っていた学者」というのは自分にした方がいいね。〈ウェゲナーくん
   はよく証拠集めたな〉〈やっぱりあいつ俺より上だ〉となるね。
「言っていた学者」というのは発表したのでしょ。するとその人の先取
権の問題とかあるけど。ベーコンかだれかが言ったかね。
西村 名前,ちょっと思い出せないですが。
     西村注(ベーコン『新機関』1620 ,プラセ1688,スエス19世紀後半)
板倉 ベーコンだったら,ちゃんと印刷になっているし見る機会があったかもし
   れない。それを読んで〈それはおもしろいなと思ったけど,ウェゲナーみ 
  たいにおれは追跡しなかつたな〉とかね。
    つまり,学者が尊敬するのは,思いついたことではなくて,それをとことん
   追求したことなのね。しばしば,思いついたことがすばらしい発見だと思 
  う人がいるね。「この人は〈空を飛べたらいいな〉と思った」とかね。〈こ
  れはかなり確かなことだ〉と考えて,それを証明する事実をいくつも集め
   たところまでいかないと発見とは言えない。
 




 
  この当時の地質学はイギリスが進んでいました。しかし,ドイツとイギ
 リスとは戦争をしていたので,ウェゲナーのこの考えはイギリスの人たち
 には伝わりませんでした。
  しかし,やがてイギリスにこっそり伝える人が出てきました。そこで,ウ
 ェゲナーの考えは世界の地質学者に知られるようになりました。
 
板倉 どうして,こっそりなの。
西村 戦争で,ドイツ語の本はいけないとかなっていました。
板倉 1915年に第1次大戦だと国民戦争が始まるんだけども
西村 ドイツの本は発禁だったとか
板倉 第2次世界大戦ほどではないね。ただ,あの戦争で国民戦争が始まった。 
潜水艦が出始めるでしょ。潜水艦に対抗するということが国民的課題にな
 った。科学者が初めて潜水艦の発見装置を発明しますね。探知機ですね。
 そういう戦争だったから。
  戦争の時はいつもそうだというと困るな。戦争中だって,ファラデーと デービ
ーはつながっていた。この時代には国民戦争であったことを書くか, どうか。〈こっ
そり伝えた〉ということ生きてくるか。
橋本 こっそりの話まで入れなきゃいけないのか。
板倉 入れない方がいいね。だから,けずっちゃう。〈やがて伝わりました〉とね。
江戸時代のキリシタン禁止の弓矢の時代ではないのだから。ちょっと,〈こっそ
り〉は生きないね。〈戦争と科学〉という話ならこの話を書くといい。
松崎 ちょっと時間が気になりますので。
板倉 ここでいいね。後ろの方は丁寧にやってください。

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