板倉聖宣講演
「科学読み物編集・著作の楽しさ」(抄)
全文は「科学読物研究」第11号に収録
2001年11月3日 お茶の水スクエア
■科学読み物は仕事の原点
わたしの仕事の原点は科学読み物です。わたしの専門は科学の歴史ですが、科学の歴史
を始めたのは、科学読み物ですし科学教育です。科学の読み物をやっていて、わたしの子ど
もの時代の理科教育や今までの日本の数学教育の歴史の中でわたしが一番いい教育を受
けたと勝手に思っています。一般的には教育でいい教育を受けたとは全然思っていないので
すが数学教育だけはそう思います。
大正から昭和にかけての1920年頃から、日本の数学教育の近代化運動ができて、数学教
育を全面的に見直すということで、小倉金之助さんが中心になって展開されました。それが、
いわゆる大正デモクラシーの時に日本の数学教育界のかなりの勢力をあげてそういう雰囲気
になって、文部省も動かされて、1930年代、わたしが生まれた頃から、文部省も改革に着手
しました。そして、大東亜戦争の時にかなり加速されていきます。しかし、戦争のごたごたでそ
の教育がガタガタになります。それでいきづまって、その遺産をついで数学教育を立て直そうと
したはずなのに退化しました。
■書くことが好きな科学者と意欲的な先生
科学者の中でも文章を書くのが大好きな人は何人もいました。アシモフという人もそうですし、
日本でも富塚清という人は書くのが大好きな人です。〈雪の華〉の中谷宇吉郎も書くのが好きで
す。富塚清なんかは作家になろうか科学者になろうかと迷ったぐらいです。林髞(タカシ)という人
は木々高太郎という名を使って探偵小説家になったりしています。しかも医者です。
(参照:林髞さんの論文は「科学読物研究」第10号に掲載)
書くのがきらいでたくさん書く人はほとんどいません。丘浅次郎という生物学者で進化論
の大家です。この人は一高に入って連続2回落第して機械的に退学します。その後に東大の
選科に入って進化論をやってたくさんの文章を書くのです。そこで、文章がうまいということ
でたくさん国語の教科書に採用された人です。その丘浅次郎が、2回落第したその科目は歴
史と作文なのです。彼がその後、専門家になった進化論は歴史学なんです。
■―水をまくとなぜ涼しくなるか―
水をまくとなぜ涼しくなるかという話があります。水をまくとなぜ涼しくなるかということに
ついては、わたしは小学校の時から説明は知っていました。水をまくと涼しくなるというので
すが、わたしは水をまくような庭のある家に住んでいませんから、みんなそう言ってるから涼
しくなるんだろうな、でも、どうして涼しくなるんだろうと思っていました。説明では「水が蒸
発するときに気化熱をうばって涼しくなる」というのですね。「冗談じゃないよ、どうして水が
ドロボウなんてするんだ。」と思いました。ここからわからなくなりました。「涼しくなったと
感じるだけではないの」と思ったりもしました。気化熱で熱が奪われた。だから涼しくなる、
というのです。それで、みんなわかってしまうのです。これはずっと気になっていて、やっと数
年前に解決しました。
やはり気になっているから、いろんな本を見ます。買ったときに、これについて書いてある
ところを見ます。みんな同じに書いてあるのです。わかっていないのにわかったように書いて
います。どうしてみんな自分で考えないのかなと思います。
■ ―寒剤も分子運動でわかる―
また、これ以上にわからないのが〈寒剤〉です。その寒剤も,やっとこの分子運動で考え
たら分かってきました。寒剤についてのちゃんとした説明をまだ見たことがないので,今度「寒
剤のお話を書きたい」と思っていますが,今度は水の代りに固体の氷を持ってきます。
それで,水の分子はワサワサ動いているのですが,氷だって水ほどには自由に動いてはい
ませんが,氷の水の分子もそれぞれ動いているのです。ここの分子と,ここの分子とは速さが
違うのです。そしてやはり表面にある,早すぎる分子が「パッ」と飛び出てしまう。そうすると氷
も早い分子が飛び出れば温度が下がるでしょう。それでさっきと同じように空気の温度も下が
ります。
ただ,「飛び出る」といっても,普通はまず
順序があり,まず液体になります。もちろん水
蒸気になって出て行くのもたくさんあるのです。
でも,それもあんまり早くないから,すぐに飛
び出した他の分子と仲良くなって水になってしまうのです。あまり自由に飛び出て行かない,
このもとの氷の辺でウロウロしているのです。
そうすると,ちょっと遅くなるとまた水になったり,氷になったりしている。そうして行ったり来
たりしているから,結局は何も起こらないように見えるのです。しかし,よく見ると氷から水の
分子が飛び出たり,入ったりしているのです。
だから,冷蔵庫の中の氷は,決して氷のままではないのです。表面からは水の分子が飛
び出たり,また戻ったり出たりと,出戻りをたくさんやっているのです。(笑)
ところが,もしも,水蒸気として飛び出た時に,「もう帰らないよ!」と言うことになったらどう
なるのでしょう?
■―砂糖と塩化カルシュウム―
サイエンスシアターでは,僕の研究としては一番きつい研究のやり方をしました。僕は「たま
たま何かが発見されたとか,発見されそうだ」となると急に思い立って楽しくて,ワアッーとや
って論文を作るとか,啓蒙書を書くのですが,サイエンスシアターでは「今度は熱をやろう」と
いうのが先に決まってしまいます。それで「熱だって面白い話題があるに決まっている」と思
って始めたのですが,寒剤のことも,「万が一,解けたら解きたいなあ。でも解けそうもないな
あ。解けなかったら他のことをやって,ごまかせばいいや」と思ってもいたのですが,やはりこ
の寒剤を解きたかったのです。
それで私のような人間がほぼ1年間,「どうしてなのかなあ? どうしてなのかなあ?」と考
えていると分かるのです。この「砂糖を氷に入れると温度が下がる」というのは,みなさんも
経験しているはずなのです。
■自分で考える楽しさを伝えるのが科学読み物
だから結局,子どもたちは「独創的に考えなさい,独創的に考えなさい」と言われながら,他
方では,「自分で考えては間違えるぞ,独創的なことは考えるのではないよ。覚えるのだぞ」
と言われているのです。それで,劣等生になった人は「創造的に考えてはいけない」という教
育もあまり徹底しないですから,ついつい独創的に考えるのですが,それで超能力に行ったり
することもあるのです。超能力に行くのは独創的に考えるから行けるのであって,独創的に
考えないと超能力には行けません。だから,「独創的に考えてはいけない」と言うことになれば,
超能力にも行けないけれども,独創的な考え方も出来なくなるのです。
■科学を総体的にとらえる
私が今やりたいことの中の一つに「科学を総体としてとらえる」ということがあります。それで,
私は科学読み物については,今の科学読み物よりも明治の頃の科学読み物の方が興味があ
るのです。なぜかと言うと,明治の頃には一国を成り立たせている科学の状態・技術の状態・
経済の状態を全部使って書いてあるからです。今はたくさんの科学読み物があって,たくさん
の教育機関があって,たくさんの科学者がいるから複雑すぎます。
■科学読み物には人間が出てくる
だから,これは科学の問題ではないですけども,科学読み物を読んでいるのだけれど理科は
嫌いだとか,あるいは、理科の実験は出来るけども科学読み物は嫌いだとか,いろんな人がい
ます。一体どういう人が,社会の中でどういう役割をするのかと言うことを知りたいのですね。
僕は例えば理科の教師で,実験の手続きは非常に上手いのだけれども,科学読み物は全
然読んでないという人と,一方では科学読み物は好きなのだけども「実験は苦手でねえ」とい
う人がいます。僕は、どっちの方が教師としておもしろい教師であるかというと,ほとんど絶対
に後者だと思います。
科学読物というのは基本的には,そうでないこともたくさんあるのですが,人間が出てくるの
です。学校の理科では人間が出てきません。そこで人間がやっているのだから,人間はいな
いわけではないのだけど,理科では「自然の法則を問題にしたい」というわけでしょう。だから,
科学読み物では,科学史の話もそうだし,私の発明発見物語もそうだけれど,「誰々さんが発
見した」とか,「発明した」とか,人間が出てくる,人間の考えが出てきます。だから,思想として
の科学が問題になるのです。これが楽しいものになって,子どもたちに影響を与えていれば
〈思想としての科学〉が取り入れられたことになるのです。
■実験より科学読み物の方が上
私は最近,空気と水の実験に関連して潜水鐘という海の中に沈めて作業する道具の話を
『たのしい授業』(2000年1月号)に新総合読本として書きました。水の中にコップを逆さにし
て押し込んだら水が入らないでしょう。これは初めて知った子どもはすごくびっくりするのです。
この実験を風呂場でやったり,中でこうやったりしたら(笑い)「呼吸できた!」と言ったりする
のだけど,呼吸できたのかどうか分からないですね。(笑)
ところが,このコップの大きな重いのを作って海に沈めると,その中に入って生活ができる
わけです。あんまり深いところだと水圧がかかって中にかなり水が入ってきますけど,かなり
空気が残ります。息苦しくなると,こっちから空気を送ってやればいいのですね。こういう装
置は古くからあるのです。実はこれ,この潜水鐘という話が,明治の国定国語の読本に出
ているのです。
■書く楽しみは中味を作る楽しみにある
本を書くという楽しさは,その本の中味を作る楽しさがあるのです。ですから〈もの〉を知らな
い人は,その〈もの〉を知らないのを武器にして楽しい本が書けるはずなのです。
僕などはやはりそれなりに勉強していますから,僕にとって初めて知ったと思うこと,日本とし
て初めて発見したようなことが多いです。ですから,そうことではなくて,科学好きな人なら誰
でも知っている,しかし子どもは知らないし普通の大人も知らない。そういう知らなかった人が,
そういうことを発見するプロセス,そして知った喜び,そういうものを生き生きと書いても面白い
のです。
ところが,そういう人がやはり知らなかった自分が恥かしいから,子どもたちを励ますように,
「私はこんなバカだった」と書けないです。もちろん書ける人もいます。実業之日本社などから
出している本の中にはそういう優れたライターがいます。
テープ起こし 原田研一 編集 西村寿雄
◆全記録は「科学読物研究」11号に掲載
「科学読物研究」申し込みは西村寿雄(ja3aeh@cc-net.or.jp)まで