科学読み物

                                        西村寿雄作

   

   ―チャートの発見物語―

                                         改訂版2

 今、みなさんが手にしている石はチャートという名前の石です。この石は河原や海岸、
道ばたの石ころとしてごくふつうに見られる石です。チャートはとてもかたい石なので、
庭の敷石などに使われたりします。昔は、火打ち石として使われていました。
 
 ふつう石や岩はかたそうにみえても、たいていは長い年月の間にくずれて砂やドロ
にかわっていきます。しかし、このチャートという石はとてもかたい石なのでいつまで
もくずれないで石ころになってころがっているのです。この石にチャートという名前を
つけたのはイギリスの科学者です。どうしてそういう名前をつけたのか今によくわか
っていません。日本でもこの石はそのままチャートという名前で呼ばれています。

 この石のもとになるチャートの地層は日本の各地で
みられます。たいていはうすい地層が何重にもかさなっ
て出ています。 この石の地層もとてもかたいですがハ   (層状チャートの写真)
ンマーでたたくとわれます。新しくわれたところはガラス
がわれたときのようにきりたち、手がきれるほどです。 
 火山の近くや花こう岩の山ではチャートの地層はほとんど見られませんが、そうで
ない地方では河原や海岸の中に石ころとしてよく入っています。また、砂の地層の中
に入っていることもあります。 
 チャートの丸い石は、かたいチャートの地層がくずれて、川から海に運ばれて、波
で丸く丸くなって、そこがまた地層になって、その地層から出てきたものです。
 さて、ふつう岩石はいくつもの鉱物が入りまじってできて
います。たとえば、花崗岩という岩石は石英、長石、 雲母  (花崗岩の写真)
などという鉱物がもとになってできています。火山の石
は輝石、角閃石などという鉱物がたくさんはいっています。
 これらにくらべて、チャートは石英の成分できた石なのです。石英はケイ素(Si)と酸
素(O)がむすびついた二酸化ケイ素(SiO2)という分子でできています。
 科学者は、はじめチャートという石は海水中にあるこまかいこまかい石英のつぶが、
海底にたまってかたまった石だと考えていました。ところが、このチャートを顕微鏡で
よく見てみると、その石の中になにやらふしぎな模様のつぶがいっぱいあることがわか
ってきました。やがてこの模様は、海の中にいる小さな小さな放散虫という生きものの
形だということがわかりました。 
 放散虫というのは海水中の二酸化ケイ素(SiO2)をとりこんで
自分の体をつくっている小さな生きもの(約0.1mm〜0.3mm)です。 (放散虫の写真)
その放散虫の化石がチャートの中に入っ
ているのです。      
 このことを知ったアメリカのまだ大学生だったレオ・ニューポートさんは電子顕微鏡
でこの小さな化石をもっとしらべたいと思いました。それには、この生きもののまわり
をつつんでいる二酸化ケイ素のつぶをもっときれいに取りのぞかなければなりません
。ところが、この二酸化ケイ素というつぶのかたまりはとてもかたく、塩酸や硫酸ぐらい
ではとけません。いろいろためしていているうちにフッ酸 という薬品ならかなりとけるこ
とがわかりました。あまりとけすぎると化石になっている放散虫もとかしてしまいます。
ニューポートさんはいろいろ工夫して、ちょうどうまく化石のまわりの二酸化ケイ素の
つぶだけをとりのぞくことに成功しました。
 そのようにして、よく化石が見えるようになったチャートを電子顕微鏡で見たニューポ
ートさんはアッとおどろきました。なんと、電子顕微鏡の下に見えるのは、ぎっしりつまっ
た放散虫の化石ではありませんか。
 「やはりそうだった。チャートは放散虫の化石の集まりだ。」
と、うれしくなって世界中に発表しました。
 また、この放散虫の形をしらべていたアメリカのペッサニオさんは、放散虫の体は、
その時代時代によって少しずつちがった形をしていることを発見しました。

   (放散虫の写真)

 これは大発見です。つまり、放散虫の形を見ればその化石が何時代のものか知ることが
できます。そこで、世界の科学者は各地のチャートの地層の中にふくまれている放散虫の
化石をしらべ出しました。
 するとまた、いままでの地質学の考えをひっくりかえすできごとがおこりました。日本では
今まで、このチャートの出る地層は、恐竜のいた時代よりも古い約3億年以上も前のものと
考えられていました。 しかし、日本の各地から出るチャートの放散虫の化石をしらべると、
そのほとんどはもっと新しい恐竜の時代のものということになりました。約1億年ほど時代
が新しくなったのです。

          ( 地質年代図 )

 さらにもうひとつ、今までの考えをひっくりかえす考えが生まれました。今まで、日本に出
ているチャートは今の日本が暖かい海だった時にその場でできたものだと考えられていま
した。しかし、この考えもチャートのできかたからみて、大きくかえられることになりました。
「今みなさんがすんでいるこの日本のほとんどの場所は、もともとからそこにあったのでは
なくて、はるか南の太平洋のかなたからやってきたものだ」というと、そんな話を信じるでし
ょうか。それが本当の話なのです。どうして、そのようなことがいえるのでしょうか。
 昔、ドイツの科学者アルフレット・ヴェゲナーという人がアフリカ大陸とアメリカ大陸とがくっ
ついていたのが、だんだんとはなれていって今のような形になったのだと考えました。その
話も本当であることが近年の科学でわかってきたのです。
 科学者の考えによると、地球の表面はいくつかのプレートという板に分かれていて、それ
が、ゆっくりと動いているというのです。ハワイの島も1億年後には日本近くにやってくるの
です。

           (プレートの海洋図)

 また、 チャートがもし今の日本の近くの海の底でできたとしたら、陸地からの泥や砂が入
ってくるはずです。チャートにはそれらがふくまれていないのです。そこで科学者たちは、チ
ャートは陸地から遠くはなれた深い海の底でできたと考えています。
 日本近海では、フィリピン海プレートという大きなプレートが1年に約3cmの早さで日本の
南岸におしよせていることがわかっています。
科学者たちは、チャートという地層はこのフィ
リピン海プレートにのって南の海からやってき    (フィリピンプレートの模式図)
て大陸のふちにぶつかってとりこまれたのだ
と考えています。その大陸のふちが今の日本
列島なのです。
  
              (プレートによる付加チャートの図)

 こう考えると、今手にしているチャートは約1億年もの長い長い年月をかけて遠い遠い南
の海からやってきた‘南の海の旅人’だということになります。
小さな石ころ一つにもたくさんのなぞがかくされているのです。

                                       おわり 西村寿雄〔2002,1,13〕                             
  注  この読み物はまだ検討中のものです。子どもたちに使う以外、
      使用、転載はしないでください。


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