枚方地学班 
地質研修 

濱口梧陵の里と湯浅層群 

2005年6月4日(土)


 
安政の地震と「稲村の火」 広村・濱口梧陵の里 

 1854年(安政元年)12月23日、安政の東海地震(M8.4)発生、その32時間後に、安政の南海地震(M8.4)が連続して発生。このとき、濱口梧陵は、津波から村人を守るために働きました。この話は、後に、昭和12年から22年まで「稲むらの火」として、小学校の教科書に載せられ、全国で教えられました。

 「稲むらの火」は、事実をもとにしたものではあるが、簡略なお話にするために、かなり作られたもので、事実とは相当違っている。
 1854年12月23日午前10時安政の東海地震発生。房総半島から四国土佐にいたる太平洋岸に津波が押し寄せ、家屋の被害約9000棟、死者600人と言われる。その32時間後、1854年12月24日午後4時頃安政の南海地震発生。紀伊半島から四国沖が震源域であった。津波は房総半島から九州まで押し寄せ、全半壊建物は、60000棟.流失家屋21000棟、死者3000人という被害をだした。この時の広村の被害は、建物被害339棟、死者30人にのぼった。それでも、梧陵などの活躍で他の村より被害は少なかった。

   
        広村堤防        広村堤防         防潮扉
    湯浅層(ジュラ紀 付加帯)    ジュラ紀化石採集(落合さん)     植物化石在中

     国定教科書「稲村の火」

         礫岩

        砂礫岩

                      
 「稲村の火」

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