第四章 不思議人間・鈴木和夫


一、白紙の答案
 二十数年前になりますが、高校の修学旅行で、九州に行ったときのことです。
 旅館に着くと、先生から「何人かの生徒が、たばこを吸っているようだから、注意してこい」という指示が
ありました。
 先生が直接行くと、現行犯なので何らかの処分をしなければなりません。
 だから、生徒会の議長をしていた私に、おはちが回ってきたのでしょうが、「先生が心配しているぞ」の
一言で、皆やめてくれて、学校からの処分もありませんでした。
 自主的な校風で、生徒はのびのびとしていましたが、先生とは深い信頼感で結ばれていたように
思います。
 たぱこを吸っていた連中が、今、社会で活躍しているのを見ると、先生の判断は素晴らしかったと思って
います。
そんな太っ腹先生や、愉快な交友たちとの、楽しい高校生活でしたが、私の家は母子家庭だったので、
授業科を払うのが大変でした。
 学校をやめるのがイヤで、先生に相談したところ、親身になって聞いたうえで、大学の給仕として推薦して
くれました。
 お陰様で、三年生からは昼は授業を受け、夜は給仕のバイトを続ける生活が始まり、無事に卒業
できました。
 周囲の人は、大学へ行くように勤めてくれましたが、父のいない家庭のことを思うと、早く働きたかった
ので、不合格になれぱ家族も納得するだろうと考えて、入学試験の答案は白紙で出しました。
 今考えても、あのときの自分の選択は良かったと思っています。

二、壮行会の思い出
 昭和六十二年の枚方市会議員選挙に、立候補してほしいという話があったとき、私は、総合経営株式会社
(現・ダイヤモンドリゾート株式会社)の取締役営業部長という立場にあり、ゴルフ場の開発で、忙しい毎日を
過ごしていました。
日本初の会員制のホテル事業をてがけた会社で、おりしも、海外進出を計画しているときでもあり、
立候補の話をなかなか社長に切り出すことができません。
 思い切って言ってみると、「何を考えているんだ!なぜ、今の立場を捨ててまで、まして、給科が半減
するのに、議員にならなければいけないんだ?とにかく、許さん!」と、言下に反対されてしまいました。
 社長には、最年少で役員に取り立ててもらったことや、経営のイロハを教えてもらったことなど、数え
あげたらきりがないぐらいの恩義があります。
 妻に相談しても、次男(一歳のとき風那をこじらせて、脊髄に菌が入り、身体障害児となり、大阪の
聾学校に通っていた)の通学の問題もあって大反対ですし、友人の多くも反対という、まさに、四面楚歌の
状態でした。
 しかし、いつしか、私の心の中に『人を対象にした仕事に人生をかけるのも、男として本望じゃないか』と
いう気持ちが、ふつふつと湧いてきました。
 妻や友人に伝えると、私の意志の堅さを知って、協力を約束してくれました。
 最難関の社長に話しますと、しばらく、じ〜っと私の顔を見て、『そこまで思うのなら挑戦しろ!できるだけの
応援はする』と言って、退職するときには、全社員を大阪市内のホテルに集めて、盛大な壮行会を開いて
くれたのです。
今でも、思い出すと胸が熱くなります。

三、初  陣

 選挙事務所は、建築会社や鉄工所に勤めている
人たちが、仕事を終えてから集まって、突貫工事で仕上げて
くれました。
 外壁ができると、今度はデザインの経験のある人が、
看板を書いてくれるという具合で、みんな手作りです。
 出来上がった事務所を見て、墨俣に一夜城を築いた、
秀吉の心境もかくやと思いつつ、やるぞと決意を新たに
しました。
 ポスター貼りは主婦の方々、街宣車の運転は若い
サラリーマン、遊説のアナウンサーは有給休暇をとって参加
してくれた0Lで、全員、選挙は初めての人ばかりでした。
千円、二千円と浄財をカンパしてくださった、おじいちゃんや
おばあちゃん、かたくなに我が党を嫌っていたのに、選挙が
始まったら、手弁当で駆けつけてくれたご夫婦など、終生
忘れることのできないことばかりでした。
 告示日の前夜、失恋した酔っ払いによる、放火未遂という
おまけまでついた、てんやわんやの選挙でしたが、当選の
報に接したときは、さすがに、応援いただいた色々な人の
顔や、様々なことが思い出されて、目頭が熱くなりました。
 ある支持者は、当選を記念して、私が毎年、毎年成長
するようにと、自分の家に、桜の苗木を植えてください
ました。
 「すずき桜」と名付けていただきましたが、まだまだ細くて
添え木が必要です。
 まるで、多くの人に支えられている私を象徴している
ようです。

四、リングだけの結婚指輪
 演説会場の出口で、支持者の皆さんを見送っていたところ、一緒にいた女房がヒジでつつくので、
「今、忙しいのに後にしろ!」と言うと、小声で、「結婚指輪のダイヤが、とれてなくなってしまったの」と
困ったような顔で言うのです。
 なるほど、女房の指を見ると、リングだけが残って、ダイヤはありません。
 どうも、握手をしているうちに、とれてしまったようです。
 女房は、笑顔を作って挨拶していますが、困惑しているのが良くわかります。
 私も、結婚するときに、無理して買ったので、正直言って惜しかったのです。
 しかし、当選するかどうかの瀬戸際のときに、悠長にダイヤ捜しをするわけにもまいりません。
 『当選したら必ず買ってやる』と約束したものの、この公約はいまだに実行しておりません。
 私も、世の男性諸氏と同じく、女房との約束より、男同士の浮世の義理を優先するほうですので、新しい
指輪を買ってやれるのはいつのことやらわかりません。
 女房はあのとき以来、買ってほしいと言ったことはありませんが、ドレッサーの中に、ダイヤのとれて
しまった指輪を大事にしまっているのを見ると、申し訳ないなと思うこともありますが、どうも、思うことと、
実行することの間にはかなりの壁がありそうです。
 だから、議員でいる間は無理でしょう。

五、サイコーにヨイひょう
 昭和六十二年四月二十七日は開票の日です。
 午前八時から開票作業開始。
 第一報、六○○票。
 午前十時、一六○○票(他の候補と横並び)。
 その後の開票速報が、なかなか入りません。
 双眼鏡片手に、速報係りをつとめてくれている、○君からの連絡が待ち遠しい。
 午前十一時、待ちに待った続報。
「三五四一票。当選!」
 サイコーにヨイと、実に縁起の良い数字でした。
 それに、立候補届け出順位も当選順位も一七位と、この選挙では、不思議と数字に縁がありました。
 選挙事務所の中は、ごった返して、握手と大歓声の渦でした。
 その最中に、市役所の職員が、議員バッヂを届けてくれました。
 議員バッヂは、登庁したときにもらうものと思っていましたので、当選発表から、三○分もたたないうちに
届く、手回しの良さにはびっくりです。
 普通、市会議員のバッヂは、直径が一五ミリの金メッキで、赤紫色のピロード仕上げの上に、金色の
一○弁の中心に、『市』と書いてあります。
 枚方市のデザインではなく、全国の市議会で統一して作製しているものです。
 当選したときに一個もらえますが、なくすと実費で買わなければなりません。
 一個が二六○○円です。


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