三 宅 島                             

2012年08月17-19
科学読物研究会会員行事



三宅島は,2500年前や1万年前から大きな噴火をして,中央部に大きなカルデラを作っていた。
その後も,20年に1度のペースで噴火をくり返している。新しくは1983年10月の側噴火。このとき
は,溶岩が島南西部の阿古地区を被い,大被害をもたらした。その後,2000年7月には,中央付
近からガス性の噴火をくりかえし,低温の火砕流(下の写真)も流れ出て,住民の方は5年ほど島を
離れた。このとき,中央部のカルデラが大陥没をおこした(下記写真)。今回訪れた2012年8月現在,
ほとんどガスは収まっていたが,ガスマスクの携帯はアナウンスされていた。2日目はレンタカーで
神着から山腹中部の環状道路を回った。火山泥流でかなりの谷が埋められていたが,ガスの噴気
はなかった。
頂上に向けては『通行止め』で行けなかった。
火砕流 三宅高校裏 google earth
  雄山カルデラ陥没 google earth

 三七山 スコリア丘

  雄山(三七山から)

   火山弾(椎取神社奥)

  1983溶岩 栗辺地区

  大路池 2500年前の噴火口

   ガスで枯れた椎

椎取神社鳥居 火山泥流による埋没

   1983溶岩 旧阿古小学校

 1983溶岩 旧阿古中学校

  堂山の椎 幹周9m

     アカコッコ

   シチトウメジロ

   ハマカンゾウ

   タマアジサイ

 反薄明光線(東京湾にて)

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