大阪府議会ヨーロッパ行政調査団メンバー
大阪府議会議員  中村哲之助


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プラートの繊維産業振興策を学ぶ(21日)

 この日はフィレンツェ近郊のプラート市のプラート産業連盟(UIP)を訪問します。30分以上かかるということで、8:23にホテルを出発。今日からのプラートでの通訳はフェラーラ礼子(旧姓・中條)さんです。9時過ぎに連盟本部に到着した私たちはさっそく、ジョバンニ・メスキーニ氏とバーバラ・ビガリさんの出迎えを受け、説明を聞きました。

素晴らしいトータルファッションで
出迎えていただいたお二人
 イタリアの全繊維製品の80%はここプラートで作られ、その製造会社のほとんどが中小企業です。また製品だけではなく、「糸」そのものを作っている会社も数多くあります。トスカーナ州は人口100万人で、そ の内プラートは約30万人を占めています。
 プラートは最初、ウールを中心に製造してきたものの、今ではその比率が15%にまで落ち込んでおり、ポリエステルや人工皮革などの占める割合がぐんと伸びています。プラートは元々、再利用が盛んで、その対象となる客の所得階層は割合低かったようです。今でも年間4万トン以上の古着がここに集められ、脱色したり繊維だけにしたりして新しい製品に生まれ変わらせているとのこと。これまで生産量は1年で約55億ドル、その内、輸出には33億ドル(約60%)となっていましたが、最近は輸出の比率が65%にまで上がり、120ヶ国を相手にしているという説明に、調査団は驚き・感心の様子でした。
 特に、バーバラさんは説明の中で、プラートの中小企業はどこでも、「セールスマンはただセールスするのではなく、客の立場からこのような物をつくって欲しいと工場関係者(生産者)に依頼し、できあがった製品を客に勧めて拡大していく」と中小企業の持つ柔軟性とこれにかかわっているイタリア人の個性豊かな熱意ある仕事が、プラートの強いところで、全ヨーロッパNo.1にしたと述べられました。アルマーニやベルサーチも元々、そういったことで成長してきたようです。

 一方、調査団からは、

  1. デザイン性、ファッション性を高めるためにはどのような事をしているのか
  2. ミラノコレクションとの関わりは?
  3. 一回の展示会でどれだけの企業がどの程度出品されるのか
  4. 素材の研究はどのようにして進めているのか
  5. 中国製品との関係はどうか
 などを取り上げて意見交換を行いました。日本でも安い中国製品の進出に困っているように、今やプラートでも日本と同様に大変困難な状況にあるようです。
 しかし、日本のように、その原因である人件費の抑制のため、中国や東南アジアなどにシフトを移すなどということは考えず、「個性豊かな顧客を満足させる製品を作り出すための様々な工夫に努めることのほうが大切だ。ニット製品の中でこれだけ薄い生地を作り出せるのは世界中でもプラートだけだ」という自信を持った答えには、本当に敬服します。


現地企業を訪問

この日はまた、昼前からプラートの現地企業MTS社を訪問し、社長のローランド・パスケッティさんらの出迎えを受けました。

 ローランド・パスケッティ社長は、

  1. この会社は医療・建築用内装品も扱っている
  2. 若いスタッフが大変な努力をし、これが実を結んだ
  3. 規模は80人で、他企業よりは少し大きい
  4. 中国製品が大量に輸入されるようになり、困っている
  5. 今日の世界経済の悪化原因の一つは中国製品の席巻だ
  6. 日本の旭化成から輸入している紙を利用して人工皮革の研究を深めている
 ことを述べられました。

訪問したMTS社

パスケッティ社長にお礼と記念品を渡す中村府議

 私たちはこの後、人工皮革の研究現場や染料の調合、さらに展示会などに出される数々の生地見本を拝見しました。繊維産業のおかれている厳しい状況を目の当たりにし、泉州地方の厳しい現状がダブり、複雑な気持ちでMTS社を後にしました。
 ここで感じたのは、MTS社は日本の工場と比較的よく似ていましたが、敷地・建物が広いため、80人もの人がどこで働いているのか?と思ったほどです。さらにどのような環境対策がされているのか詳細はわかりませんが、工場の横を流れる川もそれほど汚染されているようにも見えず、この面でも相当な苦労があるように思えます。安い人件費を求めて海外へ展開していく日本とイタリアの違い、職人気質、歴史・伝統など様々な違いを見聞し、これからの日本は一体どうすればよいのか、複雑な思いを持ちました。

この会社では古着などを一杯集めていた


繊維博物館で見聞を広める

 この日はプラート産業連盟での懇談の後、午後からは現地企業訪問・懇談になっていましたが、予定よりも案外と早く終了したため、明日の午前中に訪問する予定になっていた繊維博物館へ向かいました。途中にかなりの規模のチャイナタウンをバスから見、イタリアにも有るのかと驚きました。
 3時前に繊維博物館に到着し、館内の展示品などをご案内いただきました。この施設は1975年にオープンしたもので、個人コレクターの提供で出来上がっています。1800年代からあった工場敷地が10,000uを超えており、ここに1860年に、染色を中心とした織物工場がつくられ、その工場施設をそのまま転用したため、当時の織機を始めとする様々な繊維関係機器も保存されています。
 館内には3〜4世紀頃の布地や衣服(ウール・綿・麻など)もあります。遺跡の発掘で出土した物も展示され、またそれらの絵柄などの多くが「キリスト教」に関するもので、まるで教会の中の資料を見ているようです。またルッカ地域で作られ、イスラムの影響を強く受けた衣服も一部ですが、展示されています。

これが繊維博物館の入り口です
 フィレンツェの地域でよく使われていた高価な生地(シルクをベルベットのように見せる14〜15世紀の生地)なども飾られ、当時は家具やインテリアにも多用されていたようです。
 16世紀に入ると格段に技術が進み、近代と同様の高価な絹製品などが目立ってきます。特にこの当時、フランスのリヨンで作られる製品は花柄や立体感があり、先進的で技術力も高く、多くの人がリヨンに学び、帰国した人々がいろいろな工夫をこらして各地へ広めていったようです。
 また19世紀に入ると、プリント技術が導入されたことから、織り込んでいくのではなく、上からプリントするために様々な濃淡・デザイン・絵柄が表現できるようになっていきます。室内は写真が厳禁とされているため、これらのことを言葉で表現することは本当に難しく、適切に表現できているか分かりませんが、ご理解ください。
 2階へ上がると、中世から今までの織物機械を展示しています。またその側で、2004年に発表される予定の極薄の生地も置かれています。さらに、同じ素材を使ってどれだけ感触の違う物が作れるのかというコーナーや、防弾用の生地なども展示されています。実際に触れてみて、こんなに感じが違うのかと驚く物もありました。
 そして、西暦2000年を祝う大聖典の際に、ローマ法王が着用された衣が、それを伝える新聞写真とともに展示されています。衣は赤・金・青などで煌びやかな物ですが、その材質がビスコースやアルミニウムであると聞かされて、私たちはすっかり驚きました。約2000年前、人の手によって素材を自然のままに使用し、さらに工夫をこらし、近代科学の発達の中で、それを様々な形に活用・変化させてきた私たち人類の歩みに、何か遥かなるものを感じました。

関空からフランクフルトへ(16日)ストラスブールでLRTに乗車する(17日)総領事館へ EUへの理解が深まった(18日)
ロンバルディア州政府を訪問(19日)現地日本企業関係者との懇談(19日夜)UCIMUイタリア工作機械協会を訪ねる(20日)
プラートの繊維産業振興策を学ぶ(21日)ルネッサンスの文化に感動(22日)|多くのことを学んで帰国(23〜24日)|
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