’08.03.29.〜 04.05.
中村哲之助議員の訪問記
*各写真をクリックしていただくと拡大版をご覧頂けます。
 
ダルマチア地方を訪ねる(4月 2日・朝)
  昨夜は 11:30に寝ることができたので体がスッキリしている。6時前に目が覚め、早速荷物の整理。日本から持ってきたポットにお茶を入れるため、湯を沸かしている間に昨夜のパジャマなどを片付け、出発の用意。ドアの外にトランクを出し、お茶を飲みながら昨夜の新聞切抜きの続きを読む。7:20になり1Fのレストランへ朝食に向かう。ここはZAGのホテルとは雲泥の差で、メニューも豊富だしコックもいる。私はコックに「玉子2つでオムレツを作って欲しい」と片言の英語で頼み、大きなゴーダチーズとカマンベールチーズをナイフでカット。さらに温野菜が綺麗に並んでいるので中位のトマト丸ごと、ナス、ピーマンを2〜3切れずつ取った。これにお決まりのシリアル+牛乳、フルーツ(すいか、オレンジ、マンゴー、パイン)、ヨーグルト、コーヒー。少し食べすぎくらいだが、肉類を食べないので直ぐにお腹が減る。30分余りで食事を終え、部屋へ帰って再チェック。8:00出発で今日は長いバスの旅が続く。
 私達は真っ直ぐに南下し、CR国南部のDBVへ向かう。バスの右側は海岸が続く(写真・左下)が、これをダルマチア式海岸と呼ぶ。この地域の名前がそのまま学名になったとのこと。二つの大陸プレートが押し合って隆起し、今の島・陸が出来上がったという。
 長束氏は出発後、これから5時間近くも乗車するので、CR国のことなどをまた説明すると言って次のようなことを車中で語った。
  1. SPLは美しい海岸線を自慢にするほど素晴しいが、かつて化学工場ができ、工場の垂れ流した汚水によって海水が汚染され「名物」とまで言われたウニがほとんど採れなくなってしまった。しかし、数年前にこの工場(上の写真・右)が倒産したため、またウニが見られるようになってきた。私も日本で、工場排水と河川や海の汚染は勉強したが、この国でも同じことがやっぱりある。ただ、この化学工場であった所が近くホテルになるとのことだが、そのホテルがきっちりとした対策を講じないと前と同じようになってしまう。

  2. 海外、とりわけ日本へのマグロの輸出がSPLでは大きな利益を上げている。しかし、そのためSPLではマグロが高騰してしまった。60Kn/Kgくらいだったのが、いまでは150 Kn/Kgで、庶民はなかなか口に入らない。しかし日本には大変感謝している。中国には今後も絶対売りたくないとのこと。

  3. CR国ではどこへ行っても、エニシダ(金省杖)があり、特にこのSPLではよく黄色い花を見かける。英語ではa common broomというが、古代にギリシア人がこの地に来た時、エニシダが美しく咲いた姿を見てギリシアの言葉で「アスパラトス」と言ったことが、スパラト→「スプリット」と呼ばれる元になったらしい。

  4. この国で肉は日本のように牛肉が最高級ではなく、最も高額なのが羊で次いで、牛・豚・鳥の順になる。羊はイースターや結婚式など限られた時にしか口にできないようである。その中でも釜焼きと呼ばれる料理法が一番高級なもの。日本とは大違いだ。

  5. SPLは美しい海岸線が観光資源になっていることもあり、民宿が非常に多い。正規に届出したところと無届で開業したところとで、よくトラブルが発生する。海岸沿いに美しい松林があり、そこに民宿を作り儲けるために客引きをする。時にTVが入ってこれを放映することもあるようで、そんな時はカメラに何かを投げつけたりすることもあるようだ。マカルカス地方ではよくそんなことがある。

  6. また、進路の左側車窓からは殺風景な景色が時々出てくるが、これは山火事の跡で、これらの場所はほとんど葡萄畑やオリーブ畑になっていく。まだ背の低いオリーブなどが見られる場合は、最近の山火事跡に植えられたものだ。


 8:45にトイレ休憩。ここのトイレは有料で2Kn必要。今まで、ここへ来た客はこのレストランと雑貨店に入ってもお金を落とさずに、トイレだけで帰ってしまうため、数年前から専属の人を置いて管理するようになったらしい。当然、トイレは綺麗に清掃されている。10分程度の休憩で直ぐ出発。バスが走り出すと、少し霞んでいる前方に大きな島が見てくる。これが、一昨日の昼に懇談したトンチ タディッチ氏の出身地のフバール島である。この島はセレブの来る世界10大リゾート地に選ばれたらしい。9:25バスを止める。ここは海岸の美しいところでエニシダ、アーモンド、桜などが美しく咲いている。オリーブも青々としている。このあたりのオリーブは食用に5%、油に95%使われるようで、油に絞ったカスはほとんどが石鹸や肥料になるという。
 私は「スペインではオリーブの収穫は大変な労力を要するため、その仕事の大半は海外からの出稼ぎ労働者が担っているが、CR国はどうか」と尋ねると、ここではすべて自前でやっているとのこと。9:35バスに乗車して一路、南のDBVへ。まだまだダルマチア地方の旅と長束氏の話は続く。
 
 CR国にとっての一大危機として、かつて旱魃問題があった。この旱魃のため、当時、多くの人達が海外へ移っていった。その数は約100万人にもなり、ドイツ、アメリカ、南米などが多い。旱魃が終わり、国状が落ち着いた後も海外へ移る人は後を絶たず、今では約450万人が海外で暮らしているが、この人達の母国への想いは強く、CR国ではそれに応え移民基金を作って、母国の文化を伝えている。海外へ散ったユダヤ人のことを「ディアスポラ」と呼ぶが、それをこの人達にも同じように呼んでいる。
 しかし、移民でお金を貯め、母国へ帰って家を建てたりする人達には、「あいつは金のために国を捨てて出て行き、今頃平気な顔をして戻ってきた」と言う人も多く、かつての仲間や近隣の人達とのつきあいが上手くいかずに苦労しているようである。さらに最近では、母国へ帰りたいと思っても、その国で生まれ、10〜20年住んでいる子ども達は、そこを故郷と思いこんでいるし、人間関係もできるため母国へ帰る人達は減ってきているという。
 私達の車はもともと、アドリア海沿いの美しい海岸道路を南下する予定だったが、緊急の道路工事があるために迂回して欲しいということで、山の中の道路を走っている。この道路は急傾斜地に造られているので切り立った崖が車窓から見える。


 少し時間が経つと、険しい風景も和らいで村落が出てくる。平地や農地も見られる。ポツンポツンと見えていた家が急に数が増えるがそれも1〜2分で終わり、また家がポツンという姿に戻る。周囲は葡萄、さくらんぼなどの樹木に変わる。
 10:10長束氏が「まもなく左側がボスニアヘルツェゴビナ(以下、BH国)と接するところで、そこにBH国の国旗が揚がっていますよ」と説明。この国は今400万人余りの人口らしいが、あの内戦で210万人の難民、24万人の死者を出したことや、かつてトルコに支配されていたこともあり、イスラム教徒が非常に多いと語る。またこの地域は内戦終了後、独立の際にCR国に組入れたかったようであるが、国際的に受入れられず今日のようになったらしい。またこの場所(メジュゴリエ)は、世界3大マリア出現の地といわれる一つで、他にポルトガルのファティマ、フランスのルルドがあるという。
 それから暫くの間、左側に湿地帯を見て車を進めていると、左に国境の検問所が見える。スパイ扱いされるのでカメラは絶対に向けないでとのこと。
 ところで私達は2時間以上も走っているのに、ただの一つもガソリンスタンドのないことに気付く。A議員が「このあたりの人はどこで燃料補給をするのか?」と言うとおり、私も不思議に思う。トラック、タンクローリーなどがかなり走っているのに、どうしているのか?と心配だ。
 10:35周囲はずっと湿地帯である。長束氏は「ネレトバ川の河口では豊かな水を利用して果樹園が広がり、温州みかんやいちじくが多く栽培されているので見て欲しい。また蛙も多く、この付近では蛙の入ったリゾットもよく出される」と言う。10:40になると畑、農地がかなり見られるようになる。また、BH〜ブカレストへの鉄道も見えてくる。ようやく私達は町の中に入ってきたようで、スーパーマーケットも見つけた。ここはネトコビッチという町でハンドボールが非常に強い地域らしい。
 11:00ついに私達が心配していたガソリンスタンドが一軒出てきた。そして周囲はすごいみかん畑で、道路脇で「みかん・乾燥いちじく」などを売っている露店が多くみられるようになってくる。11:13右にペリェシャツ半島が大きく見えてくる。この半島では赤ワインの最高級品といわれるリンガッチ(3,000円程度)が作られ、牡蠣、ムール貝の養殖が盛んだという。11:18CR国とBH国の国境検問所(写真)が出てきて、ストップ。
 国境では普通ならパスポートを見せて…ということになると思うが、10秒程度の会話をしただけで出発。後で聞くと、このバスはどこへ行くのか? 中には誰が乗っているのか?と聞くだけだとか。大体どの車にもそのようなことだけを聞くようである。

 国境を越えてすぐにスーパーマーケット(日本のコンビニとスーパーの中間くらい)が出てきたので、ここで小休止。私はここでチョコレートとローズティを購入した。長束氏の話では、ここはデューティフリーとなっていたが、4ヶ月前から課税されるようになったとのこと。しかし、普通なら22%の消費税が17%で、5%分だけ安くなっている。
 さて、私達は30分程、トイレ休憩と買物をして出発。12:00にまた国境を越えてCR国に再入国したことになる。車窓かはペリェシャツ半島がよく見える。長束氏は「半島の端っこは小山のようになっているが、その 中腹をよく見て欲しい。一本の曲がりくねった道路のようなものが見える。これは万里の長城と同じもので、外敵に備えて築かれた城壁で、ストーンの長城と呼んでいる。長さは5.5Km もあり14世紀当時のヴェネチアからの攻撃を防ごうとした」と説明。ヨーロッパでは最長で、万里の長城に次いで、世界で2番目の長さという(しかし、帰国してもう一度このことを調べてみると、イギリスにあるハドリアヌスの城壁に次いでヨーロッパで第2位の長さ)。保存状態はかなり良く、山の稜線に沿って、どこまでも続いているように見える。また、半島の付け根にある町ストーンは、DBV自治区内の第2の人口だそうである。12:30に私達はトルステークという町に入る。右側には相変わらず美しい海が臨める。またここには外洋から帰ってきた船員が植えたとされる「巨大なプラタナス」の木が2本そびえている。
 DBVは観光で成り立っている町で、人口は約5万人。しかし、観光業などに従事している人が2万人近くいるため、常時7万人近い人がここにいる。CR国の中では最も観光地として栄えているが、そのために他都市に比べると物価はかなり高いとのことである。またここは、イタリアはじめ多くの国々に宗主権を認めて貢物をする、「外交政策」で自治を守るという基本方針を貫いてきた。ローマ帝国、ビサンツ帝国、ヴェネチア、トルコ、ハンガリー…と、その時々の状況を詳細に分析し、19世紀初めにナポレオン軍に服従するまで「黄金は売っても自由を売るべからず」と叫び続けたようである。
 またそのため自ら城壁を築き、今でも2Km程の立派な当時のものが残り、その上を歩くこともできるようだ。
 12:40標識に、DBVへあと6Kmと書いてある。バイオリン奏者として著名な日本の五嶋みどりさんは3年に1回は必ずここを訪れ、コンサートに参加しているという。
 1979年に世界遺産の発録が始まった第1回目の分に、CR国の3つ(プリトヴィツェ・スプリット・ドブロブニク)が自然遺産として認められ、それ以後国をあげて観光客誘致に力を入れているとのこと。しかし、最近このあたりの若者(特に高校生くらい)のマナーが悪く、長束氏もつい最近からまれたようである。