2010.04.15.〜 04.22.
中村哲之助議員の訪問記
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ポーランドへ出発(4月15日)
 4月15日は午前8時に関空(以下、KIX)ターミナルビル4Fに集合となっているので、私は京阪守口駅06:30発のリムジンバスで行く予定としていた。一番近い枚方市駅前からのリムジンバスはKIX 08:15着のため、どうしても遅刻してしまうからである。ところが同僚の山添議員は、枚方06:31発のバスはKIX 07:55着と言われるので、京阪バスに問合せると確かに「そのとおりだ」との答え。第二京阪道路が全線開通となったことにより、経路が変わったこと、さらに守口発のバスは一挙に6本も減便になったことなどをこの時に知った。

 4月15日は早朝、長男にバス停まで送ってもらうと、すでに山添議員は夫人の運転でバス停に着かれていた。バス乗車を終わると残席は10席程度しかなく寝屋川市駅で数人を乗せるとほぼ一杯になった。今後は予約しておかないと危ないと思う。
 定刻の8時にKIX Bカウンター前に全員が集合すると国友さんの合図で大きなトランクを預ける手配。最近は搭乗者一人ひとりが自分の荷物をチックインカウンターで処理しなければならない。一昔前に比べると大変な違いである。荷物を預けた後、私達はPOL国の通貨に両替しようと外貨両替ショップ(北店)へ。1万円を出すと260ズロチと42円のおつりが出された。POL国の1ズロチ≒38円である。そして、いつものように金属探知機を通り危険物の持ち込みがないか、「水」などの100ml×10本以内かなどのチェックが待っている。9.11テロ以来、徐々にチェック度が強まり、最近は上着、ベルト、ネクタイピン、メガネなどを全て所定のトレイに入れてチェックを受けなくてはならない。これも安全対策のためで仕方ないと思うが、改めてテロや暴力のない平和な社会の到来を願う。


私達がこのチェックを受けるため何10メートルもの長い行列を作っていると、隣の半田議員が「アレ、あんなところに旭堂南陵さんがいる」と言う。私もそちらを見ると確かにそうである。声をかけると同氏は「いやー、えらいところで。お揃いで皆さんどちらへ?」、「POL国です」、「あっ、大統領の国葬に行かれるのですか?」、「ええ、それだけじゃないんですがね、約1週間です」、「私らはシンガポールへ」などのやりとり。このチェックが過ぎると出国手続き。
 ようやく構内に入り、私はカード会員用のラウンジでコーヒーを飲んで小休止。09:30に11番ゲートへ集合となっているので約30分程度の時間がある。POL国へはKIXからの直行便がないため、私達はKIX→フランクフルト(以下、FRA)→KRKと乗換えなければならない。10:00発LH741便FRA行きの搭乗手続き開始のアナウンスが流れ、私達も機内へ。出発まで相当待たされたが、10:20に離陸。機は一路北へ向い、ロシア→北欧→バルト海→南下しFRAへと向う。1週間ほど日本を留守にするだけであるが、大変な長期間を空ける気がする。
 水平飛行になり11:10には飲み物サービスが始まった。ビジネスクラスだと着席したとたんに「ウエルカムドリンク」としてシャンパンやワインが出されるが、私達はエコノミークラスで贅沢を言えない。一通り飲物が行渡ると次は食事のサービス。この間約10〜15分である。「チキン?orビーフ?」と聞くので「チキン、プリーズ」と言うとにっこりとして温かいチキンの食事が出された。前席の背もたれのモニター画面には速度968q/h 高度10,668m 外気温−48℃ 目的地へ8,648q 必要時間7時間 現地時刻04:30と出ている。この日は完全な移動日であり、ゆっくりと寛げるので食事とともに缶ビールを一本注文すると、ドイツビールが出てきた。前回(2年前)にヨーロッパへ行った時は日本人の客室乗務員(CA)が3人いると言いながら、日本語の分かるCAがほとんど対応してくれなかったが今回は名札を見ただけで日本人だなと分かる女性が数人いる。
 食事を終えると多くの人達がテレビを見始めたが、私はマスクをして好きな小説を読み始める。途中でトイレへ行ったが3時間余りで一気に読み終えた。時計とカメラを現地との時差7時間(夏時間のため)の調整をし、暫く機内をウロウロ。エコノミー症候群といわれることのないよう、私と同じようにトイレの前で屈伸運動をする年配の女性がピーチクパーチクと井戸端会議。それぞれの胸や腰あたりに「△△ツアー」のバッチが付いている。
 自席へ戻って週刊誌や機内誌などを読んでいると軽食として「サンドウィッチ」か「おにぎり」はどうかと案内がある。私はおにぎりと温かい日本茶を注文。ほとんど動かずにこんな食事をしていたら体調を害するのではないかと思う。
 到着予定の約1時間30分前にまた食事。今度は「チキンのソテー」か「牛丼」のどちらかと聞く。初めにチキンを選んだので今度は牛丼にしたが、日頃食べている牛丼とは大違いである。私は食事でまったく好き嫌いはないので色々違ったものをと試してみるが、機内の人達は2回とも肉料理を選ぶ傾向がある。日本では誰もが夕食を済ませて寛いでいる時間帯であるが、POL国ではまだ午後2時前。私は到着に備えてスリッパを脱いで靴を履こうとするが、足が浮腫んで少し窮屈になっている。何度か立ち上がって運動したつもりでも余り役立っていなかったようである。

 ベルト着用のサインが示され機内放送が行われる。ドイツ語?で「寄付をしてほしい」という意味のことを言っている。日本語での説明で「Help Alliance」のことだと分かる。背もたれに用意されている子どもの写真が印刷された袋に入れ、出口付近のCAに渡してもらえれば嬉しいと言っている。私は早速小額であったが20$入れて渡した。いま世界各地で多数の子ども達が命を落としている現実が痛ましい。毎年欠かさずユニセフや国境なき医師団などに寄付しているが、一人でも多く元気に成長してほしいと願っている。
 また放送の終わりに、アイスランドの火山の噴火による火山灰の影響でロンドン、北欧便が一部欠航となっているので注意してほしいと言う。この時、私はまさか全面的に飛行禁止になるなどとは思ってもいなかった。

 14:45にFRAマイン空港に着陸し、入国手続きを済ませKRKへの乗換えのためBエリアへ向う。KIXの何倍もの大きさを持つ空港であるため、様々な乗物で異動する人を見かける。KRKへは適度の乗換時間であるので助かる。15:00 B・08ゲート前に着いて小休止。16:05搭乗案内が流れ、順にゲートへ。そして1Fへ降りて専用のバスに乗り16:20搭乗する。そんなに大きな機体ではなく、2人(A・C)、2人(D・F)の座席配置であるため、すぐに席に着く。16:38離陸し、暫くすると機内サービスでサンドウィッチを配り始めたが、KRKに到着後ホテルで夕食が用意されていると聞いているので余り食べないようにする。

かつて私はウズベキスタンを訪問した時にも、座席のことでイヤな思いをしたことがあったが、今回も非常識な人がいた。私の席は11Aであるから当然、窓側。ところが窓側には既に20才前後の小柄な女性が腰掛けている。私が搭乗券を見せて「その席は私の席だ、間違ってないか?」と片言の英語で聞くが一言もしゃべらない。そして何を言っても窓の外を見たままで振り向きもしない。わずか1時間30分程度であるから腹を立てても仕方がない。私の英語が通じないのかもと考え、通路側の11Cに座る。私達10人は席が比較的近いところにあるもののバラバラで、誰がどこに着席しているのかは分からない。窓の下1/3ほどが雨粒で濡れている。後方で「このサンドウィッチはうまい。中のソーセージがいい」という声が聞こえるので、私もソーセージを食べてみた。確かにおいしい。赤ワインをグラス1杯飲んで、いつの間にか少しウトウト。目をあけて暫くすると17:48にドイツ語で「・・・」と何か放送が入るが何を言っているか分からない。多分、着陸するのでテーブルなどを元の位置に戻すようにというようなことだろうと思う。すると、私の横へ後方から男性がやって来て、11Aに坐っている女性に何か言うと、その女性はバックからチケットを2枚出してその内の1枚を男性に渡した。どのような関係なのか分からないが、・・・不思議だ。窓からKAKの様子が見える。

 17:57 KRK着。静かな着陸に何と隣の女性が拍手している。ドアが開いて外へ出ると、日本の地方空港と少しも変わらない。RYANAIRと記された機体が多く駐機している。プロペラ機も結構多い。私達は国友さんの案内で出口へ向うと現地ガイドが迎えてくれていた。MALGORZATA(マウゴジャタ=通称マルガレッタ、以下MAL)さんである。私達はKIXで預けておいたトランクをそれぞれ確認し、バスへ向う。

 18:30バスに乗車した私達はホテルへ。わずか10人余りなのに、大きなバスである。このバスがPOL国でずっと貸切りになっている。「ドライバーはRAFAK(ラファウ)さんです」とガイドのMALさんが紹介。一週間ガイドを務めるMALさんは早速、「この空港はヨハネ・パウロU世空港とも呼ぶ。POL国はローマカトリックの信者が92%にも達する。中心を流れるヴィスワ川はバルト海まで約1,000qにもなる。首都のWAWを日本でいう東京にすれば、KRKは京都・奈良に相当する。神聖ローマ帝国のプラハ・ウィーンなどと並ぶ中央ヨーロッパ屈指の文化の香り高い街だ。POL国の首都が置かれていたのは1038年〜1596年だ。まもなく見えてくるヴァベル城は歴代ポーランド王の居城で、ここで先日の事故で亡くなった大統領の国葬を執り行うと言われている」などの説明をする。


このバスは本当に広い。乗降口は右側の前方と真中の2ヶ所あり、私は真中のドアの少し前に座っている。一つ斜め後方に松田議員、前に西脇、森、関議員が窓の外をそれぞれ見ている。日本時間では深夜の1時30分を過ぎているので、誰一人電話もしていない。今朝早くに日本を出てきたのに不思議と、この時間帯は眠気を催すことはない。
 車が増え、路面電車の姿が見られるようになって、「街の中心部です」とガイドのMALさん。19:12 私達が3日間滞在するホテル・ホリデーインに着く。ホテル前の道路はそんなに広くないため、バスは少し離れた場所でストップ。緯度が高いので、まだまだ外は明るい。国友さんがこのホテルのフロントで手続きをしている間、ロビーのイスに座って「静かなホテルだなあ」、「余り客がいてないなあ」などとおしゃべり。部屋割表などをもらって19:30私は516号室に入る。19:50に地下1階のレストランで夕食ということなので、とりあえず貴重品をセーフティボックスに入れておこうと思うが、なかなか上手く作動しない。4〜8桁までの数字を自由に入力すればよいと書かれているのに、扉が閉まらない。仕方なく身に着けて地下1階へ降りる。
 レストランには1人で食事の人と2人で談笑している人達の、2組の客しかいない。私達は旅の第1日目ということでもあり、みんなで乾杯と思うがなかなかビールが届かない。団長の冨田議員の発声で20:03乾杯。日本では深夜の3時を回っているのでそんなに食べられないと思っていたが、生野菜が実に新鮮だし、メインの鱒料理も美味しく、それぞれを半分以上いただいた。誰もが疲れているので、この日は1時間余りで食事を終え、明朝08:15ロビー集合を確認してそれぞれの部屋へ。
 私は3連泊ということになるので、トランクの中のスーツやカッターシャツなどを取出し、ハンガーに吊るしてクローゼットに入れた。セーフティボックスに再挑戦してみたがやっぱりムリ。こういう時は使わない方がよいと利用を断念。風呂もバスタブにすぐ湯が溜まるし、ポットも驚くほど早く沸騰する。  頭を洗ってサッパリした後、パジャマに着替え、持ってきた緑茶を飲むとすごく落着く。明日からの日程に備えて早く寝ようと11:30に就寝。長い一日だった。