2010.04.15.〜 04.22.
中村哲之助議員の訪問記
※各写真をクリックしていただくと拡大版をご覧頂けます。
 
帰国へ脱出大作戦(4月20日・午後〜)
 私達はこの後、ホテルから10分程の場所にあるレストラン・ホノラッカに向かった。レストランに着いた私達はここで国友さんから、帰国についての説明を聞く。「昨日の議員団の考えは、出来るだけ予定どおりの日程で帰国できるようにしたい。そのためにPOL国での日程変更が生じてもやむをえない。可能な交通手段を検討するということだったので、次のようにしたい」と言った。
  1. WAWからFRAへの航空便は今日も飛んでいないし、明日の朝もほとんど見込みはない
  2. そのため、16:35発のWAW → ベルリン(以下、BER)行きの国際列車(インターシティ)に乗車する
  3. BERからはチャーターバスでFRAへ深夜に移動する
  4. 早朝にFRAへ到着するので、ここでKIX行きのLH 740便を待つ
というものである。彼女はさらに、「本来、全て鉄道便の方が楽だし安価であるが、BERでの乗り継ぎ時間が僅か10分ほどしかないのが問題だ。国際列車は日本の列車と違い、10分や20分の遅れは普通で、30分以上遅れることはざらなので、そうなると、BER駅で乗り継ぎができず、次の列車まで深夜に数時間も待たなければならず、お勧めできない。ただ、陸路をバスで移動となると、チャーターバスの費用だけで別途に数十万円必要となるがそれで良い か?」と問いかけた。私達は、「費用については仕方がない。いま考えられる最善の方法がそれであれば、その考え方でいこう」と全員が賛成。
 そうなると、今夕の在ポーランド日本大使との懇談は中止せざるを得ないことになり、早速、その事情を連絡。BERでのチャーターバスは一応予約してあるとのことで、方向が固まった。
 さらに、彼女は「ここでの昼食を終えるのが13:45〜14:00だから、16時半の列車までは少し時間がある。ポーランド大使との懇談は物理的に無理だが、折角WAWへ来たのだから、出来れば少しの時間でも旧市街地やキュリー夫人の生家、ワルシャワ蜂起記念碑(下左写真)などを見学していただきたい」と言う。私達の予定はその後、ホテルへ帰り、4時までにチェックアウトし、徒歩でワルシャワ中央駅へ行くということになった。誰もが「駆け足の1時間半だなあ」と言う。
 MALさんの説明では、第二次世界大戦の終盤、(ワルシャワ蜂起で)ドイツ軍によって20万人以上が犠牲になり、市街地の80%以上は灰燼に帰してしまったが、いまWAWは当時と同様の姿で残っている。これは大戦後の復興期、WAW市民が記録を頼りに、ひび割れ1本に至るまで忠実に当時の姿を復元したためだという。度重なる厳しい国難に耐えてきたPOL人の心意気が伝わってくる。
 MALさんの案内で旧市街地へ向かうが、写真(上右)のように葬儀に参列する人々で道路はぎっしり一杯。私達はバルバカンを通り、新市街地の方にあるキュリー夫人の生家を見学。夫人は昔ここに住んでいたが、いまは博物館になっている。私達はお土産も十分に買えないまま、3時半すぎにホテルに戻る。部屋に入ると、昨日クリーニングに出しておいたカッターシャツが置かれていた。私は急いで足を洗い、下着類など全てを取り替えて、荷物をまとめる。今日は夜を徹して列車とバスでドイツへ移動するので下着も冬用にし、寒くないようセーターやジャンパーも用意。荷物を整理してロビーへ行くと、どの議員も「こんなに慌しいのは初めてだ。汗をかいた」と言っている。私もチェックアウトに行くが、同じように汗で背中が少しひんやりしている。

 16:00いよいよPOL国大脱出作戦開始である。私達は全員が大きなトランクを転がしながらWAW中央駅へ向かう。中央駅はさすがに大きい。ここは地下駅になっているのでエスカレーターで移動。ホームに着くと日本の駅とはまったく違う。
写真(右上)のように点字タイルもないし、列車の停止位置を示すマークなどもない。列車はファジーな止まり方をし、先ほど1両目の列車が停止した場所に、次の列車は2両目が停車することも度々だという。国友さんが私達に、「我々の乗車する列車はこの駅が始発ではないので、少しの時間しか停車しない。このあたりに止まると思うが、列車はどこに止まるかは分からないので、まず乗車してほしい。列車が出発する際に日本のような放送やベルの合図などは一切ないので、気をつけて」と告げる。ほとんどの議員がこの種の国際列車に乗るのは初めてだと言っている。私はスペインやフランスの新幹線に乗ったことはあるが、これには勿論初めてで、列車の横で記念撮影。インターシティの文字がはっきりと写っている。
 16:35列車は定刻に動き出した。私達は6人用のコンパートメントで、6人の大きなトランクを一つずつ入れるとぎっしり一杯。通路はすれ違う時に体をずらさなければならないほど狭い。急遽予約した座席のため、私達とは別のグループには見知らぬ人が座っているとのこと。荷物を片付け、長い列車の旅に備えていると、国友さんが「早めに食堂車へ行かないと、食事がなくなってしまう恐れがあるので、2〜3人の議員が交替で行ってほしい」と言う。先発隊が食堂車へ行って30〜40分すると、「4〜5人のグループが出ていったから半分くらい大丈夫だ」と伝えてくれたので、私も食堂車へ。

 食堂車の中は、日本の昔の新幹線に設けられていたほどの広さはない。メニューも豊かではないが、何と言っても座席にいるような窮屈さはないので楽チン楽チン。早速、ビールで乾杯。野菜サラダ・ソーセージ・スパゲッティなどを食べただけなのに、何か満足感がある。食堂車のチーフが我々のことを、お金を使ってくれる上客だと思ったのか、注文もしていないのにワインやビールを「サービスだ」と言って出してくれる。本来の日程であれば、今頃は大使との懇談が終わってホテルへ向かっているころである。私達は約1時間でここを出、座席へ戻った。
 暫くすると、途中の停車駅なのだろうか、列車がスピードを落とし停車した。時計は19:25を指しているが、日の入りまでまだもう少し時間があるようだが、駅に余り人はいない。それよりも、写真(上右)のように一体どこまでが駅なのか分からない。誰でもが駅構内へ入れるし、出て行くことも出来る。ホームにいる人がすぐ近くに停まっている乗用車に乗って出て行く。その写真をとろうとデッキへ行ってシャッターを押すと、数秒後にドアが合図もなしに閉まった。うっかり車外へ出ていれば大変なことになっていた。

 19:40 POL国で見る最後の夕日が美しい。座席へ戻った私達は深夜の異動のことを考えて、誰もが少し一寝入り。私も目を閉じているといつの間にかウトウト。窓の外の景色は日本のように人家が建ち並んでいないのか、明かりはほとんどない。周囲も真っ暗で、何回か駅に停車していくが、乗降客はほとんどないように思う。
 時計を見ると、もう終着のBERに到着するはずなのに、やっぱり遅延しているようだ。国友さんの指摘どおりにして良かった。BER → FRA を列車にしていれば、数時間ここで列車待ちをしなければならないところだった。10分以上遅れて22:33 BER着である。WAW中央駅とは桁違いに人が多いし、規模もすごい。BER駅では大柄な女性と細身の男性が私達を迎えてくれた。この人達はこの後、FRAへ向かうチャーターバスの運転手である。
 二人に先導されてBER駅を出た私達は早速、迎えのバスに乗り22:45出発。大きなバスなので、一人で3〜4席を占領できる。
EU加盟国は、500kmを超える長距離バスの場合は、ドライバーを必ず二人用意することと、2時間程度走行すれば最低30分の休憩を取らなければならないと定められているとのこと。バスに乗車した当初はワイワイと言っていた議員もいつのまにやら静かにスースー。私自身も眠ろうとは思うが、中々眠れない。