2010.04.15.〜 04.22.
中村哲之助議員の訪問記
※各写真をクリックしていただくと拡大版をご覧頂けます。
 
教育と都市計画を学ぶ(4月16日) ・・・ 
 この日はKRK市の名門高校「ヤン・ソヴィエツキV世」校と建築協会を訪問することになっている。06:45モーニングコール、08:15集合の予定になっているが、夜間に何度も目が覚めた。一度目は午前3時過ぎ、次いで5時過ぎ、3度目は6時20分だった。3度目はモーニングコールに近いので起上って着替え、洗面の後、ホテル周辺を散歩に出た。着替えの時、窓の外は少し雨が残っているようだったが06:40ホテルを出る時は傘が不要になっていた。
 ホテルの2つ隣に中央郵便局があり、信号を渡ると広い公園に出る。この公園は昔、王宮を取巻く堀だったようで、府庁の横にある大阪城の堀が埋められて全て公園になっているという感じである。細長く、市街地に伸び、KRK本駅横から左回りにチャルトリスキ美術館、聖アン教会、聖フランシスコ教会、ヴァヴェル城と取巻いている。私は、聖バルバラ教会の横から中央市場広場へと向ったが、国葬に合わせてマスコミ各社の中継用車両が数多く並び、それぞれが準備作業を開始していた。
 かつての首都として何百年もの間栄えてきた面影はいたる所に見られ、歴史の重みを感じる。さらに全ての建物にといってもいいほどに揚げられた弔旗は深い悲しみを伝えてくる。これだけの歴史遺産をよく戦争で破壊されなかったものだ。広場の真中に立って大聖堂を見上げると、遠い歴史の中に吸い込まれそうである。
 07:20に散歩から帰って朝食。私の海外での朝食はアメリカンスタイルの時は決まって、「野菜・チーズ・玉子・コーンフレーク+牛乳・ヨーグルト・フルーツ」である。「水道の水はダメ」という国では生野菜を絶対に口にしないが、ここでは十分過ぎるほどに食べられる。他の人は肉や魚料理を盛っているのが普通だが、私の場合は出来るだけ肉類は口にせず、乳製品とフルーツなどで水分補給することにしている。ただ、ここのコーヒーはあまりいただけない。家や事務所で毎日飲んでいるのと比べると、段違いである。30分程で食事を終えて部屋へ。まだ20分余りあるなと思って雑誌を読んでいると、ルームサービスが府庁からのFaxを届けてくれた。私達が府庁でよく読んでいる新聞の切り抜きである。
  08:10にロビーに行くともう半分くらいの議員が集まっている。予定どおり08:20に出発し、ヤン・ソヴィエツキV世高校へ向う。約20分で到着するが、とてもこれが学校とは思えない。ドアこそ重厚で風格はあるが、前頁写真のように正面はまるで「貸しビル」の入り口のような感じだ。私達は3階の教室へ案内され、08:50から説明等が始まった。
・応接者 マレク・ステンブスキー 校長
レシェク・ルパ 副校長
アンナ・ヴィエルビッカ 教諭
カロリーナ (生徒)
・テーマ ヤン・ソヴィエツキV世高校の教育とPOL国の教育改革
説明に先立って、私達は大阪から持参した記念品を渡し、「今日は大変お世話になる。事前に調査項目をお知らせしているのでよろしく」と挨拶。マレク・ステンブスキー校長は「遠路よく来られた。心から歓迎する。しかし、我が国は今、深い悲しみの中にあり、皆さんに十分な対応ができないことを申し訳なく思う。国葬のために多くの方々が全国から来られるので、この学校もそのような方々に宿泊所として提供することになっている。私も多くの用件を処理しなければならないので、すぐに失礼する。後は副校長が説明する」と述べ、退席された。


 この学校は、1680年代にオスマントルコとの戦いに勝利した200周年を記念してヤン・ソヴィエツキV世の名を冠して1883年に建てられ、1897年に現在地へ移ったとのこと。中庭にトルコとの戦いを描いた大きな絵が掲げられている。POL国では第1、第2、第5高校が特に有名で、この学校は第2学校だとのこと。そして戦勝記念日に合わせ、入学式は毎年9月12日とされ、ミサが行われヴァヴェル城まで全員が歩く。学生数の約1,000人に対して教員は75人で、案外と少ない。毎年卒業生は300人程度で卒業テストは5月に行われる。よほどのことがない限り卒業できるが、卒業テストが悪かった人は翌年もう一回受けることが可能だという。
 これは大学入学に際してのテストはなく、高校卒業時のテスト結果によって希望する大学に入れるか否かが決まるので、悪い成績では希望大学を諦めなければならなくなる。そのため、一年間勉強したり、働いたりして、もう一回チャンスをもらう訳である。時には他の大学へ入った人が再挑戦することもあるらしい。
 そのため、この学校も優秀な中学校から優秀な生徒がほしいと中学校に働きかけているようだ。これまでの小中8年、高4年→1999年から小6年、中3年、高3年と6・3・3制に移行したが、これまでと同様に優れた生徒が集まってきているという。また、そのための様々な方策を講じている。少人数での授業や、やる気を起こさせるプログラム、表彰制度の導入などである。
 生徒達の使用する教科書も見せてもらったが、まるで専門書かと思うほどで哲学の授業まである。そして何よりも、礼儀作法が素晴らしいことに驚く。副校長の案内で英語、生物、数学、哲学などの授業中のところを見せてもらったが、副校長がドアをノックし「日本の議員が来られた。少しお邪魔する」と言われると全員がサッと起立する。副校長が「・・・」と言うとサッと座る。多分「Please sit down.」なのだろう。そして部屋を出る時にもサッと立ち上がる。私達が今の日本でまずこんな風景を目にすることはできない。
 副校長とヴィエルビッカ教諭のレクチャーの際、同席した生徒のカロリーナさんは一年余り前、日本に6週間短期留学(ホームステイ)したことを語った。彼女はその間、東京、横浜、大阪にも行き、京都のムラサキノ高校で学んだという。「日本は美しい素晴らしい都市だが、生徒がPOL国のように先生を尊敬しているとは思えない。ABC先生と言わず、まるで友人のようにAちゃんと言うのには驚いた」という。まさに日本の教育の問題の一つを指摘されたようだ。彼女のネックレスは何と日本の5円玉だった。
 この日はあらかじめ調査テーマを示していたので、パワーポイントを使いながら説明を受けたが、議員側からは
  1. 卒業試験と大学入学の関係
  2. 学費と保護者負担
  3. 生徒の進路
  4. 文化・スポーツ活動
  5. 留学制度
  6. 日本文化の講座開設と生徒の反応
などについての質問も出され、自由な意見交換を行った。
 校内の視察で気付いたことは暖房設備がエアコンではなくオイルヒーターであること、自販機の飲料水が割合に高額なこと(2.6ズロチ、3ズロチなど、平均100円程度でスーパーの2倍ぐらい)、卒業生全員の写真が廊下に掲示されていることなどである。
 私達は副校長から記念のメダルとボールペンをいただき10:30に終了した。当初はお昼までということであったが、学校の置かれている状況からこれ以上長引かせることはできず、失礼せざるを得なかったのが残念であった。