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● ユネスコなどを訪問(4月19日・水) |
この日は朝からユネスコなどを訪問する予定になっている。夜にはサマルカンドへの移動もあり、かなり日程もハードなため、十分な食事をしておくように言われている。モーニングコールは7:00の予定。
しかし、私は何度も夜中に目が覚めた。2時、4時、5時30分頃と3回も目を開いた。深夜の2時は日本時間で6時だから、体が覚えてしまっているのだろうか。部屋が相当乾燥しているため、ノドがいがらくなって、咳が出る。5時30分にはベッドから抜け出て、湯を沸かし、持ってきたお茶を飲み、ホッとする。そして、昨日のメモを見ながら、旅日記を付け始める。そうしないと、海外の場合は、2〜3日経ってしまってからでは訪問先の相手の名前や重要な出来事を思い出せないのである。
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UZ国のはじめての訪問場所はユネスコである。ユネスコまでは10分くらいとのことで、9:30に出発すればよいらしい。荷物を9時前に出し、ロビーでゆっくりとコーヒーを飲む。タシケントで1,2位を争うホテルということで、さすがに落着いている。しかし、なぜこんなにいつもホテルは高いのだろうか?1杯のコーヒーが4,300スム、日本円で約430円である。毎月の平均所得が1万円余りだというのに異常である。このホテルは宿泊費も275USドル/日で、ミネラルウォーター(500ml)は1本3ドルだ。観光客用価格かもしれないが高すぎる。もちろん日本の一流ホテルで飲むコーヒー1杯1,000円よりは安いが、物価から考えると信じられない思いだ。 |
9:30少し前にホテルを出発。今日は28〜30℃になるらしい。ミネラルウォーターをバックに2本入れている。ユネスコには9:40に到着。警備は厳重である。ピストルなどを携帯した警察官や警備員が門を開け、私達は中に入った。早速、名刺交換し挨拶。
【写真】
前列左から中村、山添、半田
後列左から土師、冨田、バリーレイン、アヴド、大友 の各氏 |
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ウズベキスタン・ユネスコ代表のマイケル・バリー・レイン氏から私達に、現地の取組み状況と課題を説明してもらった。これを現地ガイドのTurapova Nargizaさん(女性)が日本語で説明。
- UZ国にある世界遺産と歴史的建造物の保存・修復には、大変な労力と財源を必要とする。
- 都市基盤整備を進める財源も十分ではないため、どうしても文化財などへ充てる予算が少ない。
- ソ連からの独立後、UZ国としては経済発展の最中にあるが、古い歴史的建物と現代的な街づくりが一体的に配慮されたものにしなければならない。
- UZ国の伝統的産業を育成し、それを海外へ輸出することによって、産業従事者の生活を支え、勤労の意欲を高めていくことが大切だ。最近ではシルクのカーペットなどは欧米へ数多く出されている。
- JICAとの連係も重要だ。今年9月にヒバ(KHIVA)で大規模な文化祭を開き、アラル海周辺地域の発展もめざしている。そのため、みやげ物販売の成功へ京都へも派遣し、また招いている。
- テルメズ(UZ国の東南端)には京大の加藤教授がおられ、何年も発掘作業に従事、指導している。
- 毎年5月、シルクロードの伝統的行事を実施している。これにはNHKもやってきて放映してくれている。
などの説明を聞き、私達は
- UZユネスコには、どれほどの機関・人・お金が関わっているのか。
- 最近のアラル海の危機的状況を日本で聞いているが、どうなっているのか。また、どのように対策を講じるのか。
- 世界遺産を守るための労苦で何が一番大事か。
- 保存・修復のための専門家の育成とその技術向上にどう取組んでいるのか。
などの質問を行い、なごやかに意見交換を行った。また、その際、先頃の奈良での遺跡の保存・修復作業で大きな問題を起こしたことなども話題に上った。
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この
ユネスコで応対されたアヴド・カディール・エルガシェフ(Abdu-Kadir Ergashev)教授がこの後、UZ国をずっと案内してくれたが、その時は、まだ知らなかった。
11:00にユネスコを退出し、JICAウズベキスタン事務所へ向かう。11:10にJICA(Japan International Cooperation Agency)着。
この日、朝から急にUZ国政府との協議が入り、所長不在だったが、浅見栄次氏と懇談できた。
1991年8月の独立から2年後の、1993年にJICA事業を始め、すでに10年以上が経過している。
JICAは
- 市場経済化への支援
中央アジアの中心地・UZ国はかつてモスクワ、レニングラード、キエフに次いで第四のまちであっただけに、インフラはある程度整備されているが、国民の意欲は一向に改革されていないように思う。
- 社会セクターの整備
医療・教育・環境への取組みを強めている。例えば、病院では看護士は医師の指示によって動き仕事をする。行政や他人の声には絶対耳をかさない。そのように教え込まれてきたため、予防医学なども進まない。あくまで病院は病人のためにあり、それを医師が診察し指示。→看護士が手当てするわけで、コスト面からも見直しを進めている。
- 経済インフラの更新
UZ国はどこへ行ってもガス・水道・電気はある。しかし、インフラのメンテナンスのための財源がない。UZ国は旧ソ連のやり方をそのまま踏襲してきた。例えば人口5万人の地域へ100万人規模の設備をつくる。見た目にはよいが、中身はどうにもならない。維持費などムダな経費は計り知れない。
など、3点に対する支援を重点的に行っているとの説明があった。
JICAは日本人7人、青年海外協力隊などの18人を含め、現在63人である。我が国とUZ国との関係は良好で、今後とも日本と交流を深めたいとのこと。 |
ソ連のアフガン侵攻後、急速に欧米諸国とりわけアメリカと友好関係が深まり、米軍基地なども置かれていたが、昨年5月のUZ国東部での暴動と大統領の対応に対する厳しい批判によって、関係は相当悪化した。昨年秋、アメリカは基地の撤去を行ったが、これはその表れと思われる。その一方で、ロシア・中国が最近では接近しているとのことである。
JICAから見ると、中央アジア5ヵ国(カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、UZ国)の中では、カザフスタンが一番市場化は順調で、UZ国とトルクメニスタンが遅れているとのこと。日本は毎年8〜10億円支出しているが、実際の事業費としては2億円くらいのようである。 |
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JICAでの懇談のあと、私達は日本センターを訪問し、ディレクターの稲葉 泰氏に迎えられた。ここでは日本語や文化を現地の人に幅広く知ってもらい、日本への理解を深めるため、様々な取組みを行っている。この日は、幼稚園くらいの子どもから年配の女性まで、熱心に折紙などに悪戦苦闘していた。
私達の視察と懇談が余りにも熱が入り、近くのウズベキスタンホテルの17階のレストランで昼食をとったのは13:00。JICAの浅見氏も同席され、約1時間、和やかに懇談をした。 |
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14:00すぎに食事を終え、続いて14:30〜15:00着の予定になっていたマリカ紡績工場へ向かう。
14:40に到着。相当に古い工場で、1949年から操業しているが、ソ連からの独立後はフル稼働していないようである。ここでは下着やTシャツなどの綿製品を作っている。 |
UZ国はサッカーが強く、また各地で盛んに行われており、選手のユニフォームをここで作っているのが誇りだと語っていた。従業員は現在では100人にまで減っている。8:00〜16:30が勤務の時間で11:30〜12:00が休憩。給料は50ドル〜60ドル/月。働いている従業員は全員が若い女性で、高校〜大学生くらい。大型の注文がくると全員で仕事するが、そうでない時は1/3〜1/2くらいしか出勤しない。日本のように工場で色々な製品を大量に作り、それを全国各地の店舗へ卸して販売というよりは、必要に応じて生産するという感じである。また、作業に使用しているミシンは、かつて我が国でよく使われていたJUKIの足踏みである。 |
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ソ連から独立したUZ国の産業と操業中の工場の状況を見たいと、今回の調査項目の柱にしていたが、市場経済化とインフラ整備は遅々として進んでいないと感じる。
15:45に退出し、10分程度のところにあるUZ国の百貨店を20分ほど見学。客はほとんどおらずガラガラ。どうしているのか不思議だ。休憩後、夕食のため中華食堂(NEW SHANHAI)へ。次の訪問地サマルカンドへ飛行機で向かうために余りゆっくりとはできない。しかし、中華食堂でチャーハンなどの食べ慣れた物を口にするとやはり落着く。(日本で食べている中華の味とは少し違うが……)
18:30に退出し、タシケント空港へ向かう。19:00に到着すると、そこにはユネスコ事務所でお会いしたアヴド先生がわざわざ出迎えてくれた。しかし、ここからがまた大変だった。UZ国の国内線であるのに、国際線と同様に厳しい荷物検査とボディチェック。さらに空港は極端に照明を落としているため、陰気このうえない状況。搭乗のため、専用バスで飛行機まで移動するのにライトは点灯しないし、車内の明かりも点けない。待合室も50人くらい待機している部屋に小さなライトが一つあるだけである。 |
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19:45発HY1301便は20:15に離陸。丁度1時間後の21:15にサマルカンド(世界文化遺産指定都市)に着く。何と、この日は5分くらいで荷物が出てきた。荷物を運ばせてほしいという人達やタクシーがわんさと集まっている。
21:45、この日の宿泊ホテルのプレジデントに到着。私の部屋は702号で、ここには2日間泊まるので、スーツやカッターなどを出し、クローゼットへ吊り下げたりしていると23時近くになっている。風呂に入ろうと思い、バスタブに湯を出すが、なかなか一杯にならず、湯もぬるい。これでも上等のホテルだと言われているので、ゆっくりと湯を沸かしながら待つ。お茶を飲み終わっても、まだバスタブは一杯にならない。底に寝るようにして漬かり、何とか風呂に入ったという感じである。本当に今日も疲れた。明日からはサマルカンドの世界遺産などの視察である。
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