民主党無所属ネット議員団・ウズベキスタン調査団
中村哲之助議員のウズベキスタン訪問記

*各写真をクリックしていただくと拡大版をご覧頂けます。
 
サマルカンドの世界遺産を見学(4月20日・木)
 7:30のモーニングコールだったが、6時過ぎに目が覚めた。体も慣れたのか、夜間に目を覚まさないようになったのでホッとする。もう一泊するため荷物をまとめなくてもよいので助かる。小説の続きを8時過ぎに読み終え朝食に。いつものように玉子2個で具をいっぱい入れてオムレツを作ってもらい、美味しそうに湯掻いたポテトと温野菜(人参)、ヨーグルト・コーヒーの食事をとる。
 このホテルはタシケントのようにメニューが揃っていないが、別に悪くもない。ツアー客が大勢食事をしているということもなく、日本の普通のホテルのように非常に静かだ。もちろん部屋にスリッパ・湯沸し器・バスローブ・歯ブラシなどのセットはない。ごみ箱も浴室に一つ置かれているだけ。さらに部屋が少し暗いと思ってスタンドを見ると電球が付いていない。TVも日本人向けはなし。隣のA議員の部屋は洗面のストッパーがなく水も溜まらない。しかし、サマルカンドで有数のホテルだと聞いていたので、何となく納得。先に食事をされていたアヴド先生も、「中村サン、オハヨウ」と覚えた日本語で、笑顔で挨拶される。
 
 9:20にホテルを出発し、5分ほどでグル・アミール廟に到着する。到着すると早速、現地ガイドが「写真を建物の中で撮ってもよいが、その場合は1人につき1,000スム必要」と言うので、1,000スム支払う。
 このグル・アミール廟はタジク語で"支配者の墓"という意味でティムール一族の霊廟である。青の都と呼ばれるサマルカンドでも、その色の鮮やかさは格別だという。この廟は1996年に修復が終了し、建設当時の面影をほぼ取戻したようで、内部を覆う紋様に3sの金が使用されたとのこと。墓石も順に並べられ、亡骸は地下3mのところにある墓室に安置されている。
 ここに併設されていた元の寄宿舎などには数多くのみやげ物店が入っていて、私はコーランなどの書物を読む際の本立てを購入した。10,000〜100,000スムくらいまでの値段で大きさ・彫刻はいろいろ。
 40分ほど視察した後、レギスタン広場へ向かう。(レギスタンとは砂の意)10時前に到着すると、ここでも写真撮影は1,000スム。
 ここには広場の西側にウルグベク・メドレッセ、東側にシェルドル・メドレッセ、中央にティラカリ・メドレッセが配され、見事なほどの青のタイルで飾られ、紺碧の空に不思議にマッチし、青さの競争をしているようにさえ思える。ティラカリというのは金箔で飾られているという意味で、礼拝所の天井は見事なまでの技巧である。ドーム型に丸味を帯びて見える天井は、実際には平面で、細かい遠近法によって描かれたと聞き、感心・感心である。この天井にも3sの金を使用しているようである。
 アヴド先生から、レギスタン広場の歴史の説明を受けた。ソ連時代に相当な修復がなされ、長年の間に堆積していた土は2mにも及んでいたらしい。
 
 ウル グベク・メドレッセはその名のとおり、建造者のウルグベクの名をとっている。自らが天文学者でもあった同氏は、この神学校の教壇にも立っていたようである。また、ここのミナレットは少し傾いているが自重のせいだと言う。将来のため、一定の対策を講じておく必要があるとのこと。また、このレギスタン広場では、三つのメドレッセが生み出す調和を後世に伝えていく必要性を認識させるため、ユネスコなどともに、音楽会などの行事をよく行っているようだ。
 シェルドル・メドレッセはライオン・鹿・太陽などが描かれ、およそイスラムの建築では考えられない紋様を描いている。
 アヴド先生は「世界各地の方々にもっとここへ来てもらい、イスラム建築の素晴らしさを伝え、さらにこの貴重な世界遺産の保存に努めたい」と熱っぽく語られた。ここのメドレッセもみやげ物店がぎっしりと並んでいる。元イスラム神学校で世界遺産となったこの中で、よくこれだけの商売を認めるものだと半分あきれるが、テナントの出店料が相当入るらしく、この方針は変わることはないようである。
 この後、近くにあるシャーヒズンダ廟群に立ち寄った後、私達はUZ国の伝統的な料理を出す店・シャリクで昼食。大きな串に刺した肉料理などをいただいた。
 食事の後、私達は13:20に近くのバザールへ案内してもらった。このバザールはUZ国の市民の生活と物価・暮らしなどがストレートに理解できる。大変な賑わいと豊富な商品には驚かされる。このバザールでは品物を売るためのスペースとして、1区画500スム/日を出せばよいらしい。30分ほどでバザールを出て、天文博物館へ向かう。
 
14時から博物館(入場料300スム)で、天文台の復元図やウルグベクの功績などの展示を見学した後、残されている天文台の基礎と六分儀の地下部分へ案内してもらった。地下の11mと合わせてかつては40mの高さがあったと言う。ここで彼は観測を続け、1恒星年を365日6時間10分8秒とした。今日、超精密な機器を使用して計測した数値が365日6時間9分9.6秒で、その誤差は1分にもならない。かの有名なガリレオが地動説を唱えるのが、まだこれよりも100年先であることを考えると、今から約600年も前に何と素晴らしい学者であったのかと驚く。
 
 1時間余りの視察でホテルへ帰り部屋に入ると、昨夜はなかった電球を入れてある(朝方に指摘しておいた)ので明るい。18時からの夕食までには少し時間があるので、バスタブに湯を張りながら今日1日の視察メモをまとめる。湯の具合を見に浴室へ行くと急に後方で、「ボン」と何か割れたような音がする。何事かと思って部屋に戻ると、何とスタンドの電球が破裂し、ガラス片が粉々になって飛んでいる。添乗員を通じて清掃と取替えなどを要請すると、すぐにメイドがやって来た。しかし驚くことに、彼女は何と素手でガラス片を拾い、おまけに手の平を雑巾代わりにして掃くようにガラス片を集める。「危険だから掃除機を持ってきてしなさい」と言うと、「わかった」と答えてとりに行く。暫らくすると元どおりになったが、電球の割れた理由がにくい。「メイド・イン・チャイナ」と言うのである。
 メイドが掃除を終え、新品の電球に取り替えて暫らくすると、フロントの女性が申し訳なかったと大瓶のミネラルウォーターを持ってきた。さらに食事から帰ってくると、部屋には今朝方部屋を出て行くときに置いた1,000スムがテーブルに返されていた。何か気の毒な気がする。
 翌朝、現地ガイドにこのことを伝えると、「そうだ、私も経験している。中国製はよく壊れる」と答える。だったら、別のものを使えばよいのだが、これがこの国の普通の考え方のようだ。
 


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