民主党無所属ネット議員団・ウズベキスタン調査団
中村哲之助議員のウズベキスタン訪問記

*各写真をクリックしていただくと拡大版をご覧頂けます。
 
UZと中央アジアの生活に触れる(4月23日・日)
 今日は日曜日で、官公庁はもとより百貨店などの施設もお休みである。従って、私たちは8:00にモーニングコール、10:00出発とし、この街に住む人達の暮らしぶりをつぶさに見、都市基盤の整備状況などを学ぶことになっている。私はゆったりと寛いで、茶を飲み食事へ。今日は空いていたこともあり、卵2コでオムレツを作ってもらい、ポテト・トマト・チーズ・グレープフルーツ・ヨーグルト・コーヒー。このインターコンチネンタル・ホテルであれば、少々の生野菜は大丈夫と口に。コーヒーも他の二つの都市のホテルよりも温かく、日頃、日本で飲んでいるコーヒーとよく似ている。
 
 私が4月18日、タシケント空港から中心部へ移動して来た時は、緑の多さに感心しながらもそんなに美しい街だとは思っていなかった。しかし、サマルカンド・ブハラと回ってくると、この国の興亡をある程度理解したのだろうか、すごい街だと思う。オアシス都市として2,000年前に存在し、シルクロードの拠点として繁栄。しかし、チンギス・ハーンらに破壊され、ティムール帝国として復活。近世になってロシアに組み込まれ、そして独立。中央アジアで地下鉄があるのはここだけである。
 緑の多さは簡単に言葉で説明できない。また、街の中で見られる看板には、韓国系企業のSAMUSUNGという文字が躍り、ロシア語も一杯並んでいる。CANON、SONYなどの日系企業の看板はほんの申し訳程度に見られるだけである。
 
 10:15 クカルダッシュ・メドレッセへ。これは16世紀に建てられた神学校で、今は男性のみ160人が学んでいる(15人で1クラス、4年制)。授業料はなしで、奨学金だけでやっていけるようになっている。ここを卒業すると、2〜4ヶ月間、エジプトなどのアラブ諸国へ留学し、イスラムの先生や神学に就く。ここの学生たちは自分の特技を生かしてセラミックの絵皿や絵画などをつくり、それを販売している者も多い。30分余りで退出。
 10:57に工芸センターへ。ここも以前は神学校だったが、今は絵画・陶磁器・などの様々な工芸作品を製造・販売している。しかし、どの店舗も同じようで変り映えがせず、入り口に近いところに客が集中している。ここも30分程度で退出し、次へ移る。
 11:38に国会議事堂に着く。周囲は簡単な鉄製の柵があるだけで、ホテルや地下鉄、百貨店など、街の中にあれだけの警察官がいるのに、ここには見られない。一体どうなっているのだろうか。これではVIPの警護や国民の安全のためではなく、結局は国民の監視のための警察官だと思われても仕方がない。私達はこの前で記念撮影(左下の写真)し、近くの大統領府へ。ここも同じ景色である。

 私達はさらにアムール・チムール広場から、日本でいう歩行者天国のサイールゴフ通りを見学(右上の写真)。広い道の両側にはぎっしりと店が並んでいる。祭りの屋台と同じである。日曜日でもあり、子ども連れの人達が結構いる。
 12:26に、私達はタシケントの地下鉄に乗車のため、ムスタキーリク・マイダニ駅へ。ハミッド・オリムジョン駅まで2駅乗ることにしている。
【写真】
地下鉄を示す看板
 この 地下鉄はソ連時代のままで、料金は全線160スム。ゲームのときに使用するプラスチック製のチップと同じものが「チケット」で、回収されて何度も使用される。このチケットを改札機に入れると、赤ランプが青ランプに変わり、固定されているバーが動いて中に入れる。入る時だけのチェックで、出る時にはチケットがないので、どこまで言っても同じ料金である。 ホームの端には、先程の電車がホームを離れてから「△△分××秒」経過という電光掲示板が忙しそうに数字を早送りしている。地下鉄は常に5分間隔で動き、それなりの人が乗車しているのだからスゴイの一言。さらに、ホーム・壁・天井はすべて大理石で見事に装飾されている。しかし残念ながら、やはりチケット売り場も改札口もホームもすべて少し暗い。勿論、チケット売り場にも改札口にも警官が立ち、ホームにはピストルを持って2人もいる。
 私達は2駅間を乗った後、再び専用車に乗り昼食会場へ向かう。ところが、5分ほどし、左折しようとした運転手が急ブレーキをかけた(この国は右側通行)。途端に警察官が呼びとめ、免許証などを提示させられている。何事かやりとりしていたが、乗車している客が日本人だということで、「堪忍してもらった」ようである。すぐに警察官が跳んでくるところを目の当たりにした。外は既に30℃あるが、カラッとしていて汗は出ない。
 12:50にレストランSAYOR KAFE に着く。ここは屋根がなく、日本でいう簾のようなもので日よけをしている。料理はウズベキスタンの名物料理で、ディムラマという。じゃがいも・人参・マッシュルームなどにチーズを加えてある。またスープには日本の素麺のようなものが入っていて結構美味しい。
 14:05 昼食を済ませた私達はUZ国歴史博物館へ。3階建ての大きな建物で、UZ国で最も立派な博物館のようである。2階には石器時代からの歴史・生活を理解できるものが展示されている。最も注目されているのがテルメズ近くで出土したクシャン朝時代の仏像である。大きくはないが、穏やかな表情のガンダーラ仏だ。今は国民の大半がイスラム教徒であるが、長い興亡の歴史の中、キリスト教・ロシア正教などもあり、暮らしとともに宗教の一部を垣間見ることができる。
 私達は1時間弱の見学の後、ホテルへ戻った。今夕はナボイ劇場を訪ねる予定になっている。シャワーを浴び、お茶を飲んでホッと一息入れると集合時刻の16:30近くになっている。全員が揃ったところでナボイ劇場へ。約15分で到着する。私達は劇場正面の左側中ほどに刻まれたプレートを読む。そこには「1945〜46年にかけて、極東から強制移送された数百名の日本国民がこのアリシェル・ナボイ-名称 劇場の建設に参加し、その完成に貢献した」と記されている。またこの劇場は、1947年の直下型大地震で街中が壊滅的な大打撃を受けた際にもびくともせず、日本人の建築技術の高さ・精巧さを認識させたという。
 1,500人収容可能な劇場はオペラやバレーをよく上演しており、この日はバレー・白鳥の湖で、開演は17時。私達は規定料金(3,000スム)を支払い、チケットに記載された座席に着く。
 開演前に少しトラブルがあったが、この日の演題・バレー白鳥の湖を鑑賞。ただ、白鳥の湖を上演中に、観客へのサービスのつもりだと思うが、民族舞踊も途中に組み込んでいた。プリマドンナらが熱演していたのに、余計なものを入れて少し違和感があった。むしろ、メインの上演前に15〜20分程度の前座としてサービスすればよいだろう。19:30に終了し、ホテルへ戻った私達は少し遅い夕食を楽しんだ。
 


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