民主党無所属ネット議員団・ウズベキスタン調査団
中村哲之助議員のウズベキスタン訪問記

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観光・文化財保護などを学ぶ(4月24日・月)
 この日は7:30にモーニングコール、9:30に出発である。8日間の日程も早いもので、今日がUZ国での最終日になった。
 前日から、観光省のルスタン・ヤブダドヴィッチ大臣の日程が確定せず、時間調整に手間取ったようだが、10:50にお会いできるとのこと。それまで少し時間があるので、ツム百貨店へ。この百貨店は日曜日には休むが、平日は午前9時から営業している。客はほとんどおらず、店員の方がずっと多い。各議員はお土産などを考えて、様々な品物を購入した。Tシャツなどは300〜2,000円、絹のパジャマも約5,000円程度で求められる。感心するのは、警察官・警備員の多さで、エスカレーターの上部には必ず女性が座っている。40分程度で切り上げて、観光省へ向かう。
 観光省では国際部長が快く出迎えてくれた。会談の初め、ルスタン・ヤブダドヴィッチ大臣は「ここは現在、改装工事中のために大変騒がしいし、停電中だ。大変申し訳ない」と挨拶した後、日本とUZ国との関わり、また1991年の独立の際に日本がいち早く承認してくれたことに感謝すると述べた。
さらに大臣は、
  1. 1991年の独立まで観光事業はすべて国の直轄事業であったが、2010年にはホテルなどの観光に必要な事業はすべて民間に移す努力をしている。
  2. 日本の観光専門家との協力体制はあるが、これをさらに強化したい。
  3. 都市における道路・水・電力・通信などの基盤整備を重要項目としている。
  4. 大規模な文化祭など多くのお祭りを企画し、集客に努めている。
  5. 環境ツーリズムも重要な柱だ。
などの説明を行った。一方、私達は、
  1. アフガン侵攻後、危険な国だと思われているが、どのような変化が生じているか。
  2. 大阪市とタシケント市は姉妹都市であるが、関係が希薄ではないか。
  3. 世界遺産や貴重な遺跡をどのように観光客を集めるために役立てているのか。
  4. 観光客はここ数年どう変化しているか。
  5. 外国企業の進出とこれに対する税の優遇措置などはどうしているのか。
  6. 通貨は1,000スム紙幣が最高となっているが、5,000スム、10,000スムのような高額紙幣の発行計画はないのか。
  7. 空港での荷物の取扱いや検査体制には問題がある。どう改善していくのか。
などの質問をし、和やかに懇談をした。
 
 大臣 はこの中で、「綿・絹の生産は世界第4位で、天然ガス・ゴールドの生産も世界有数であるが、ソ連時代の古い体質を中々変えることができない。さらに、アフガン戦争はUZ国に致命的な影響を及ぼし、150万人の観光客が今では24万人にまで落込み、貴重な外貨獲得ができない」と、その悩みを述べた。
 また、6月からはウエブサイトも6ヶ国語となり、この中に日本語も新たに入れる予定のようである。観光客は大幅に減少しているが、現在、アメリカ・イギリス・ドイツ・フランスの順で、日本はこれに次いで第5位とのこと。
 私達は大臣の貴重な1時間を熱心に懇談し、12:08にレストラン・カサンドラへ。12:55に食事を終え、タシケント市民がよく利用するというマーケットDUNYOへ。ここは日本のコンビニと小型スーパーをセットしたような店舗である。日曜日ではないので、そんなに客はいない。次の会見予定が3時少し前ということになっているので、一旦ホテルへ帰り、荷物の整理などをした。
 14:45にホテルを出発し、約10分で広告エージェンシーの「グレートシルクロード」に到着。責任者のフランギス・アヴドリーバ氏が不在のため、オルガ・ゲルマーヴァ女史が応対。約40分の短い時間であったが、女史は10月下旬の第12回タシケント国際ツーリズム・シルクロードフェアを熱心に説明した。
 
 前回 のフェアは350の旅行会社が参加し、100を超える成約をみたが、日本はどの旅行会社も参加しなかった。今回こそ、日本の参加を願っていると、女史は熱い期待を寄せていた。
 私達が次の文化財保護委員会に到着したのは15:55になっていた。ここではディレクターのラフシャン・マンスール氏やアシロフ・サーバー・アシロヴッチ調査専門官ら多くの出迎えを受けた。  マンスール氏は「歴史遺産や伝統に深い興味を抱かれて訪問されたことに深く敬意を表する。また、日本の援助で遺跡や文化財の保存がしやすくなっていることに感謝する」と挨拶し、
  1. 現在、委員会として2ヶ所の発掘作業を行っているが、ここには日本からの100万ドルもの援助で機械設備などを整えた。
  2. 文化・遺跡の保存を訴える映画のシナリオもほぼ書き終えた。これはUZ国と日本にとっても素晴らしいものだ。仏教の始まり、原始時代の暮らしなど、45,000年前からの歴史を理解できるようにしている。
  3. 考古学的には重要な場所が3,500ヶ所以上もあり、全部の調査は到底不可能だが、この内1,200ヶ所は現在、しっかりと保存している。ユネスコとともに2015年までに修復などをやりきりたい。
  4. 独立してからまだ15年だが、教育システムの変更が何よりも重要だ。ソ連時代は遺跡や文化財は軽んじられており、まだその考えが払拭されていない。
などと、現状と課題を説明された。
 また、私達からは、
  1. 修復のための技術者の養成やかつて製作された素焼きのレンガ・タイルなどの材料をどのようにして作っているのか。
  2. 保存・修復のために近隣諸国との関係はどうなっているのか。
  3. 資金はどうして調達しているのか。
などの質問をした。
 マンスール氏は、「日本の文化財保護法とそれに伴う施策は保存のために大きな役割を果たしていると聞いている。わが国もこれを見習わなければならない。私自身も京都・奈良などの歴史的建造物である社寺とその保存などをつぶさに見たい」と述べた。
 この後、貴重な文化財の記録や書籍類を保管している建物を案内してもらった。ここには1冊が数百万円以上するような貴重な文献が所狭しと積まれていた。さらに、保存・記録のために数多くの女性たちがパソコンに向かって仕事をしていたが、そのパソコンと横のスキャナーにはすべて日の丸のシールが貼られ、「日本の援助で購入したものだ」と感謝された。
 私達は17:00に退出し、17:15にホテルへ。これでUZ国での視察日程は全部終了である。この後は荷物を整理し、夕食を済ませて空港に向かうことになっている。約1時間あるので、私は早速入浴し、片付け。30分程度でポーターが荷物を取りに来るというのでゆっくりとはできない。忘れ物はないかとチェックしているとすぐに18:00になってしまった。18:15には出発し、空港近くのレストランで、お世話になったアヴド先生を囲んでのお別れ夕食会がある。
 私達は約20分で会場のレストラン・CARAVANに到着したが、すでに先生はお越しになられ、私達を出迎えてくれた。ここは中々凝った建物で、昔の大きな民家を改装したような感じである。
 18:40から先生を囲む夕食会が始まった。乾杯の後、お馴染みの食事が出され、さらに先生からいろいろな記念品や民族衣装を頂戴し、全員で記念撮影。先生は「これからも日本との交流を深めたい。また日本をぜひ訪問したい」と述べられた。先生はサマルカンドの大学卒業後、ロシアで大学院、さらにイギリスへ渡りオックスフォード・ケンブリッジでも学ばれ、博士となられた。先生は愛読書の井原西鶴の英語版を出され、全議員にサインを求められた。冨田・中村・土師・半田・山添・大友の順にサインし、帰国後、日本を紹介した英語本などをお届けすることを約束し、20:00に終了。先生とお別れして、私達はタシケント空港へ向かう。
 
 20:10に空港に到着。21:40発のHY0525便でKIX着は25日8:55(時差+4時間)の予定である。手続きを済ませて搭乗を待つだけとなった私達は、ラウンジで休憩。首都にある国際空港には免税店などが大抵数店並び、帰国を前にした観光客で賑わっているのだが、ここにはそんな雰囲気がない。コーヒーを頼むとネッスルのインスタントコーヒーを持ってくる。考えると、日本は今、深夜。飛行機の中でゆっくりと寝ておかないと、日本到着は朝の9時。明日の仕事ができない。
 21:10に搭乗の案内があり、私達はチケットを持って乗り込む。私の席は03・Eで大友議員と隣合せ。かなり空席があるので、それぞれが座席を変わったりしていたが、私はウエルカム・ドリンクでまたアップルジュースを飲む。ほぼ定刻に離陸した機は30分程度でベルト着用サインが消えた。私もゆっくりしようと一番前の席へ移動し、今日一日の出来事を簡単にメモ。私は旅日記を付けるのが趣味で、行く所はすべて写真に撮っている。最近はデジカメで便利になった。これを見直すと、○○時△△分にどの施設に行ったかがすぐに分かるので、一々その時にメモをしなくても、後で「しまった」ということはない。
 暫らくすると、食事が出てきたが、私は「No Thank You」と断った。2時間ほど前に食事をしたところだし、日本では今、4月25日の深夜02:30を過ぎているのだから、こんな時間に食事をすると体を壊してしまう。私はゆっくり寝ようとビールを依頼し、時計を日本時間に合わせる。もう02:50である。
 


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