民主党無所属ネット議員団・ウズベキスタン調査団
中村哲之助議員のウズベキスタン訪問記

*各写真をクリックしていただくと拡大版をご覧頂けます。
 
(初めてのUZBEKISUTANへ の続き)
 30分余りで自由にくつろげる状態になり、サイドテーブルを座席の袖から出そうとしたが、どんなに引っ張っても動かない。CAを呼んでも出せず、このことに慣れた男性が何とかしてくれた。そんな風景があちらこちらで見られる。テレビも個人専用ではなく、前に小さな画面がひとつあるだけである。食事の前にドリンクをということで、またアップルジュースを頼んだ。お昼から多くの人達がビールやワインなどを飲まれているが、私は昼のアルコール、それも機内でというのはどうも苦手である。
 飲み物が一通りいきわたると、食事。出発前に和食か洋食の選択ができると聞いていたが、CAは私には何も聞かず、「プリーズ」と言って洋食を置いていく。普通はメニューが座席に置いてあり、乗客がそれを見て判断するのに、そのメニューさえも用意されていない。前の座席の背もたれのポケットにはウズベキスタン語の機内誌とみやげ物用のパンフレット、エチケット袋しかない。私の隣はポンと和食を置かれてしまった。日本の飛行機では考えられない態度・やり方である。しかし、彼女たちはいやいや仕事をしているわけではない。時には笑顔で応じている。いわゆる「国の違い」なのである。私はもともとパンが好きだし、チーズが食べたくって洋食にしようと思っていたので、それを早速食べる。好きなチーズは全部食べるが「生野菜は下痢のもとだから、できるだけ口にしないように」と事前に言われていたため、一切食べない。しかし、考えてみると、KIX発の便は大阪でこの食事を積込んだはずで、そんな心配は要らなかったので、しまったと反省。
 最近の飛行機の食事で考えさせられるのは、ナイフ・フォークなどの食器がすべて「安全性」を考慮して、プラスチックに変わってしまったこと。最近の事件・事故を考えるといたし方ないと言えるが、味わい度は落ちてしまい残念だ。平和で安全な社会が到来することを願う。
 
 今回のフライトは朝の出発で、14:25(日本では18:25)にタシケント到着予定なので、離陸から着陸まで、ずっと機内から眼下を見ることができる。14時過ぎ、日本とUZ国の時差4時間を調整しようと時計を現地時刻に合わせた。現地はまだ10時過ぎだが、食事が終わる頃になると多くの人が窓のブラインドを降ろし、くつろぐ人がでてきた。私も2/3ほど降ろし、小説を読み始める。そして時々、小説を置いて暫く休憩。TV画面にはアンジェリーナ・ジョリーのアクション映画を上映している。(字幕は日本語)


 少しブラインドを空けた窓から下を見ると、雪・氷に覆われた山脈、赤茶けた岩肌…など、天山山脈の広大な様子が眺められる。富士山よりも遥かに高い山々が、時にはその2倍を超える山々がそびえ立ち、それも何百何千と並ぶ姿は圧巻・威容である。 12:30になるとサンドイッチがでてきた。サーモン・カニ・玉子などがそれぞれに挟まれ、結構美味しくいただいた。ここでもまたアルコールは遠慮した。
 
 私たちの乗るHY 526便は14:55にタシケント国際空港に着陸。添乗員の刀根さんから「皆さん、外気温は28℃ですヨ」と言われビックリ。ドアが開き外へ出ると、日本を出発した時よりも少し暑いくらいで、言われた程の気温差は感じない。ウズベキスタンに着いたのに、この空港で降りる人は私達を入れて20人足らずである。飛行機はほぼ満員だったのにと思っていたが、大半の人達はここで降りず、乗り継いでトルコなどに行くようである。従って、入国手続きの前に並ぶ人はパラパラである。
 しかし、ここから私達には想像もつかない事態が始まるのである。まず、預けた荷物が出てこない。30分、1時間、……いくら待っても出てこない。その間、荷物を預けないで機内持ち込み用のバックだけで出ようとした女性が止められ、30〜40分もの間、下着1枚にいたるまで全部チェックされている。そして、別の係員が同じことを二度、三度と繰り返す。一体この国はどうなっているのかと疑う。それを興味深く見ていた私達のところに、その係員がやってきて「どこから来たか?」と尋ねる。「日本からだ」答えると「オー、日本、大阪か?」と言う。「そうだ。大阪府議会議員6人だ」と答えると、冗談半分に手を広げて「オー、ベリー、ビップ」と言う。
 添乗員は「皆さんのことは、こちらの主要な機関には連絡が入っている。当然、空港関係者にも届いているので、それで大阪からかと尋ねた。皆さんにはあんな検査は多分しないと思いますヨ」との説明。
 この国に来たら、この国のルールや習慣があるんだからと、全員が気長に待機。ようやく1時間40分経った16:40にそれぞれの荷物が出てきた。やはり、何のチェックもなく、これを手にしてミニバスに向かう。この先どんなことがあるやら分からないが、第1日目のホテル・インターコンチネンタルへ着いたのは17:03である。フロント前のロビーでいろいろな連絡や調整を行い、夕食のため、19:00にホテル1Fのロビーに集合を決めて解散。812号室に入るともう17:40である。
 部屋に届けられたトランクを開け、寒いからと言われて機内持込み荷物にしていた春物のコートやセーターなどを詰め直し、シャワーを浴びた後、湯を沸かしてゆっくりと焙じ茶を飲んだ。「タシケントのホテルは大阪のホテルと何一つ変わらないですヨ」と言われていたとおり、水も湯も充分すぎるほどに出てくるし、デジカメ用の電池の充電も国内と変わらない。
 19:00まで少し時間があるので、ホテル1Fのロビーへ行き、両替所でUZ国のお金に両替。添乗員に聞くと、「5,000円程度がいいですよ」と言うので、とりあえず5,000円分両替する。こちらの通貨は「スム」で、レートは1円で約10スム。両替すると51,750スムになった。しかし、最大の紙幣が1,000スムであるため、紙幣は50枚以上になり、輪ゴムでとめて渡される。他の議員もやはり私と同じように両替に降りてきてそれぞれがスムに替える。みんな、一気にリッチになった気分である。
 19:00に夕食会場へ向かう。夕食は洋食であるが、考えると日本では既に夜11時を回っている。今朝は5時過ぎに起床し、一日が本当に長い。おまけに大陸性の気候は朝夕がグンと冷え込むといわれていたのに、半袖でも十分なくらいで、体調が狂うのではないかと心配だ。私自身、2〜3日前から少し喉の奥がおかしく、風邪の前兆があったので、サウナに入って汗を流し、早く体を休めようと思う。
 ところが21時30分頃にサウナから部屋へ帰ってきて、セーフティボックスを開けようとすると、これが開かない。説明書に書かれたとおり、あらかじめテストまでして現金などを入れたのに、何度やってみてもダメで、仕方なしに電話すると、フロントから女性がやってきた。しかし、彼女がいくらチェックの機器を当ててやってみてもドアは開かない。これは「Accident」と言い、部屋の電話を貸してほしいと、誰かにTEL。彼女は「明朝にもう一度来るので今夜はこのままに」と言って出て行ったが、10分ほどするとバールのようなものを持った背の高い男性とともにやってきて、「これは修理できないと思うので、今からこれを外し、新品のセーフティボックスに入れて持ってくる」と言って、土台から剥がしてしまった。私は中に貴重品が入っているので、このことを電話で改めて添乗員に尋ねると、「このホテルは大丈夫。二人だし絶対に間違いない」と言う。約20分して、ピカピカのセーフティボックスを持ってきて、元のところに取り付けた。
 パジャマに着替えて早く寝ようと思っていたのに、サッパリだ。しかし、翌朝の出発前にごたごたせずに助かった。私は二度とこんなことがあっては困るので、セーフティボックスは使わないことにした。先の思いやられる一日目であった。


初めてのUZBEKISTANへ(4/18) || ユネスコなどを訪問(4/19)タシケントで気づいたこと || サマルカンドの世界遺産を見学(4月20日)サマルカンドで気づいたこと || ブハラの産業と遺産などを学ぶ(4月21日)ブハラで気づいたこと || 日本人墓地で平和を誓う(4月22日) || UZと中央アジアの生活に触れる(4月23日) || 観光・文化財保護などを学ぶ(4月24日) || 多くの思い出を胸に帰国(4月25日) || UZ国で気づいたことを少しだけ || 苦言を一言 || 最後にもう一言 || TOPページへ