2010.04.15.〜 04.22. 中村哲之助議員の訪問記
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POLの教育制度を学ぶ(4月19日) ・・・ 1 ・ 2 | |
正午に同氏らと記念撮影して終了。ここを退出した私達はバスに乗車。15分ほどでLUB市の旧市街地に入りバスを降りる。街を少し散策しながら12:36にレストラン・バルバラリブチェックへ。今日の食事のメインはビーフカツ。 約1時間でここを後にし、また歩きながらバスへ。少し小高いところに白亜のルブリン城が見える。13:47 バスに乗車し、次の訪問地のWAWへ向かう。ここからは相当に距離があり、約3時間余りかかるとのこと。車窓からの景色はこれまでとほとんど変わらないが、ただ墓地がやたらと目に入る。しかし、どの墓地も色とりどりの美しい花が供えられ、地域の人達が頻繁にお参りされているのだなと思わせる。限りなく真っ直ぐの道を進み、15:00 ドライブインでトイレ休憩。客の姿は私達以外にない。ここはレストラン・ガソリンスタンド・コンビニ・ホテルを兼ねたところである。駐車場の横・ホテル側の前には大きな池と庭が設けられ、亀がのんびりと甲羅干しをしている。飲料水はそんなに高くはないが、ガソリンは日本よりも高い。 15:15 出発。10分足らずで車が少しノロノロと走るようになってきた。WAWに近づくとしょっちゅう渋滞になるらしい。16:50 市街地中心部に入る。今日と明日の2日間滞在するホテル・ヤンV世ソビエツキーには17:07に到着。部屋割りなどを終え、それぞれの部屋のキーを預かる。私の部屋は125号室である。今日の夕食は久しぶりに日本料理になっている。ホテルのすぐ近くに評判のいい日本料理店があるようで、ロビーに18:50 集合を確認して、暫くの間フリータイムに。 また、この時、国友さんが、「明日の下院議会とWAW市のレクチャーは多分予定どおりだが、帰国日の飛行機の運航がどうなるかによって、それ以後の日程を大きく変更しなければならないので、引続いて大使館や空港などと連絡を取合って対応策を何種類かお示ししたい」と言う。私は、「食事の時に、各議員にある程度細かく説明し、皆さんの希望も聞いてみよう。うまく帰国できればいいわけだから、可能性を追求しよう。不可能な場合は無理をしないように」と伝える。 | |
私たちの宿泊するホテルはWAW中央駅のすぐ近くで、WAW蜂起記念博物館や、ソ連が寄贈した文化科学宮殿(写真)、科学アカデミー、WAW大学、国立オペラ劇場、旧王宮や無名戦士の墓など多数の著名な施設などがある。MALさんは「今度は視察ではなく旅行でお越しになり、ビャウォヴィエジャ国立公園(森林地帯)、バルト海沿岸のグダンスク、トルン、ポズナン、最南部のザコパネ等も足を運ばれたらいい。私たちの国をきっと気に入ってもらえると思う」と語る。多くの悲劇に見舞われた国ではあるが、私自身、本当にいい国だと思う。 |
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私は部屋に入り、温かい緑茶をつくり一服。着替えをして風呂に入ろうかと思うが、G階にサウナやジャグジーバスがあると案内に示されているので、「よし、後でゆっくりとサウナに入ろう」と考え、風呂には入らないことに。国友さんの話などを総合し、帰国できないことも十分に考えられるので、カッターをクリーニングに出しておこうと、フロントに伝える。明日の夕方までには出来上がるようである。 18:45にロビーへ行くと、もう3人の議員が来ている。程なく全員が集まり、徒歩で日本食レストランへ向かうと、丁度この時間帯が仕事を終えて帰宅する人たちの時間と重なり、沢山の人がいる。黄色と赤の派手なツートンカラーの路面電車やバスも数多く行き来している。 | |
レストラン「稲波=INABA」の入口付近には先日の事故で亡くなった人達の追悼のため、写真・花・灯りなどが置かれている。私はここでも、心からの冥福をお祈りした。稲波では、誰もが「久しぶりやなー、この刺身も山葵も日本で食べるのと全然変わらんな」などと、久々の日本食を楽しむ。私は冷たいビールよりも日本酒の方が好きなので、熱燗をいただいた。銘柄は何と「松竹梅」、おいしい。隣に座っている松田議員も結構日本酒が好きなので、お互いに「マー、どうぞ」。 ここで、国友さんから、帰国への方策について説明があり、全員が「少々の費用がかかっても仕方がない。出来るだけ予定どおりに帰国できるよう、何がベストかを考えよう。ベストを尽くしてダメなら諦める。どうすれば良いかの案は、冨田・中村両議員で出してほしい」ということに。 |
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20:50終了し、徒歩でホテルへ。「すごく長いバスの旅で疲れたなー」とみんなが話しながらホテル着。私は早速、部屋へ入り荷物の片付け。すぐにロビー階に降り、フロントで「サウナはどこにあるのか?」と聞いてサウナ室へ向かう。少し長い廊下を歩いていくと、ブティックが2店あるが、客は全くいない。スポーツジムでは何人かが体を動かしている。サウナの受付には誰もいないので、ベルを「チン! チン!」と鳴らすと、奥からトレーナー姿の若い男性が出てきて、ロッカーキーとともに、紙のスリッパ、タオル、バスタオルを貸してくれた。 サウナに入ると、91℃の表示が出ているが、中はそんなに広くない。ここはスポーツジムに付随したサウナであるため、数人しか同時に利用できない。徳丸議員もやってきた。暫くすると、若い女性が私たちよりも早くからサウナに入っていた男性を呼びに来た。「こんな男性用のサウナに女性がよく来るな」と思うが、後で聞くと、そんなことはヨーロッパではよくあることで、温泉なども水着を着けて男女一緒というところが多いという。私は夜サウナに入ろうと思っていたので、余りお酒を飲まなかったが、結構汗は出た。サウナは22時までとなっているので、ジャグジーバスも利用し、45分ほどで部屋へ帰る。もう22時に近い。 |
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